Saint Seiya > 猫と獅子と絶対零度−家族が増えました− |
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双子宮の寝室にはドアがない。正確には、ドアだったと思しき板が入り口の隣に立てかけられている。 昨晩、執務を終えたアイオロスがサガに会おうと訪れた時のこと。宮へ入るとすぐに「誰か開けてくれ」と訴えるサガの声が聞こえた。何事かと思い駆けつけると、寝室のドアノブが跡形もなく消えていた。なるほど、これでは内側から開けられない。「少し待ってて」とドア越しに話しかけてから、扉を丸ごと取り払った。強引なやり方だとは思ったが、後でつけ直しが可能だ。拳で壊すよりも賢明だろう。 そして今朝、ドアノブを盗んだ―――のではない。破壊した人物が判明した。これまでの状況から考えて、思い当たる人物は彼しかいない。どうしてこうなった。今後、クールを“自称”するのはやめた方が良いのではないかとアイオロスは思う。だが、まあ良い。まずはきちんと元通りに直させることが先決だ。 果たして、勝手に入って良いものだろうか。遠慮した様子で立ち止まる二人を他所に、アイオロスは堂々と寝室の中へ入る。彼にとっては、それが当たり前の日常だ。 大きめのベッドは、スペースの半分近くが余っている。アイオロスの特等席だ。無論、時々帰ってくるカノンにとっても。習慣なのだろうか、サガは中央よりも少し端に寄って眠っていた。こちらに背を向け頭まですっぽりと毛布をかぶり、膝を折り曲げて胎児のような格好になっている。枕元には丸くなった猫。寄り添うように眠るさまは、まるで大小の毛玉のよう。 「ふむ。ペットは飼い主に似ると言うが…」 飼い主がペットに似る、という話は初耳だ。それにしても、何て愛くるしい寝姿だろうか。顔色も、数日前と比べて格段に良くなった。すやすやと熟睡する寝顔を覗き込んだアイオロスが、包み込むような優しい笑みを浮かべる。 「サガ」 「……」 耳元で囁くように名前を呼ぶ。サガの眠りは深く、起きる気配は全くない。 「サガ」 少しだけ大きな声で、もう一度。やはり、起きない。 「アイオロス、無理に起こさなくても…」 ひと悶着あった後とはいえ、起床には些か早い時間だ。遅れて部屋に入ってきたカミュが、やんわりと押しとどめようとする。同じことを思ったらしく、アイオリアもこくりと頷いている。 ―――ぴく。 その時、猫の耳が僅かに動いた。どうやら、飼い主よりも先に気付いたらしい。くわあ〜と大きなあくびをしながら顔を上げ、アイオロス達をきょろきょろと見渡す。「こんな朝っぱら何の用?」とでも言いたそうだ。 「うん?」 しかし、そう感じるのはあくまで気のせいにすぎない。話しかけるアイオロスには目もくれず、ぴょこっと起き上がって枕に半分埋もれたサガの顔をぺろぺろと舐め始める。 「…ん…おは、よ…」 「にゃー」 ほどなくして、サガの意識が覚醒した。どや、と言わんばかりに鳴いた猫を愛しそうに撫でて、小さな額にちゅっとキスをする。可愛くて仕方がない、といった雰囲気だ。 「あ…、はは、くすぐったい!」 満足げに目を伏せた猫が、改めてサガの顔や首筋を舐める。いわゆる“ぺろぺろ攻撃”の再開だ。寝転がったまま、時折り身を捩って夢中でじゃれ合うサガは、三人の存在にまるで気付かない。 これがサガでなければ、ごく普通の微笑ましい光景だ。けれども昨日の今日である。気を抜くと卑猥な、穿った見方をして―――まさか! 『舐めちゃだめ…』 『くすぐったい…』 ―――そう、勘違いだったのだ。おそらく、猫の名前は“アイオリア”だ。よくよく考えてみれば、ライオンは猫科の動物だ。聖域の外を知らないサガのこと、身近にいる人物の名をそのまま流用したのだろう。何か思うところがあったのかもしれない。つまり、私はサガのじゃれ合う声を聞いて勝手に誤解した挙げ句、アイオリアに濡れ衣を着せてしまったというのか。何ということだ…!! もう帰りたい。そう呟くアイオリアを横目に、ぐぐ…っと堪えるように拳を握ったカミュの両肩がわなわなと震えていた。怒りの矛先は、もちろん自分自身だ。 「えーと…。私は、無視かな?」 「!? えっ、あ…アイオロス!? 居るなら居ると…」 ようやくアイオロスの声に気付いたサガが反射的に飛び起きる。すまない、とばつが悪そうに謝罪を繰り返しているが、別に怒ってなどいない。猫に負けたみたいで、少し悔しかっただけだ。 「さっきから呼んでいたよ。はあ…」 人間とペットが同列でないことは百も承知だ。しかし、目の前でこうも溺愛されては、いらぬ嫉妬をしてしまいそうではないか。 「それに、カミュ…と、アイオリアまで。こんな朝早くにどうしたんだ?」 意外な客人に驚きながら、サガは改めてベッドの端に腰掛けた。定位置と言わんばかりに、膝には猫を乗せている。この宮にやって来て日は浅いが、毛艶の良さから大切に扱われていることが見て取れる。 適当に掛けてくれ、と部屋に置かれた椅子を二人にも勧めるが、じきに帰るつもりでいる彼らは首を横に振った。 「サガ、頼みがあるんだ」 「何だ?」 単刀直入に話を切り出したのは、アイオロスだ。 「君の新しい“家族”を、皆に紹介してくれないか?」 「あ、ああ…そうだな。アイオリアです、よろしく」 サガは嬉々として頷いた。慣れた手つきで“アイオリア”の前足を持ち上げると、立たせた状態にして頭を軽く押し、ぺこりとおじぎの真似事をさせる。嫌がっていたのか、サガが手を離すとすぐにぴょん、とベッドから飛び降りて部屋から出て行ってしまう。猫は気まぐれな生き物だ。 「今日はどこへ遊びに行くのだろうな」 「ちょっと待て!」 “人間の”アイオリアが、立ち上がったサガの薄い肩をがし、と掴む。何が「どこへ遊びに行くのだろうな」だ。猫を追いかけるよりも、自分と同じ名前を選んだ理由を説明する方が先だろう。頭は物凄く良いのに、この人は何か抜けている。一度死んでねじが緩んだのだろうか。否、死んだのは全員が同じはずだが―――? とにかく、名前だけはどうにかしてもらいたい。 「そ、それじゃあ失礼する…っ」 「待ちなさい」 真相が判明して居た堪れなくなり、慌てて立ち去ろうとするカミュをアイオロスが引き止める。 「ちゃんと元通りにするんだぞ?」 「…うっ……」 もはや言い逃れはできない。俯いて言葉を呑むカミュの肩を軽く叩き、ちょいちょい、と親指で示したのは入り口の方向だ。 「え…ちょっと…、兄さん、怒るのそこ!?」 思わず口を挟んだアイオリアの言い分はもっともだ。誤解の果てに拳まで向けてきたのはカミュなのだから、一言くらい謝罪があっても良いはず。というより、謝るべきだ。 「さっきから様子がおかしいけど、何があったのか? カミュ」 「あ、いや、何でもないんだ! アイオリア、すまなかった。あ、あと、サガ。ドアは近々直しに来るから待っていてくれ!」 「?」 勝手にあれこれ妄想した挙げ句、夢にまで見た内容を本人に知られてはそれこそ一生の不覚だ。忙しなく首を振りながら、カミュは早口で一気に喋る。事情を知らないサガには、ここまで慌てる理由がわからない。壊れたドアはカノンが帰って来た時に直してもらおう、程度に考えていたのだ。 「はは、カミュはちょっと疲れているみたいだな。それじゃサガ、私もそろそろ行くよ。夜にまた来るから、ちゃんと休んでいるんだよ?」 「…もう。大丈夫だって言ってるだろう?」 いくらなんでも全部話してはカミュが可哀相だ。それに、あらぬことを思い抱いてしまった気持ちも、かつて自分がそうだっただけに痛いほどわかる。あたふたと走り去る後ろ姿を見届けたアイオロスは、「心配しすぎだ」とむくれるサガの髪を手櫛でそっと梳いた。 「サガ、その名前はどうにかならなんのか」 「呼んだら返事もするし、どうにもならん。そうだろう? アイオリア」 「にゃ〜ん」 「よしよし、お前はいい子だね」 リビングのソファに深く座ったサガは、丸出しになった“アイオリア”の腹を擦る。気持ち良さそうに四本の脚をだらしなく伸ばす様子からは、警戒心の欠片も感じられない。実は腹にファスナーがあって、開けると中から人間が出てくるのでは? などと突拍子もない想像をしてしまうほどだ。 ―――夕方の双児宮。再び訪れたアイオリアとの間で繰り返される押し問答は、終点が全く見えてこない。 「それに、歌にだってあるんだぞ?」 「何の話だ」 「『わたしのなまえをひとつあげる、大切にしていたの』って…」(※) 「あのな、サガ。オレは『名前をくれてやる』なんて言った覚えはないぞ」 無論、大切にはしているが。 それが巷で人気のロボットアニメの挿入歌だとか、そういえばミロが三段階変形について熱く語っていただとか、確かに変形は夢があるしアテナ像の胸部がパカッと開いてミサイルが出てくる所を想像したことがあったとか、サガがものすごい音痴でまるでお経のようだとか、そもそも堅物のサガがどうして日本のアニメなどを知っているのだろうとか、そんなことはアイオリアにとってどうでも良かった。歌唱力に関しては若干気になったが、今問いたい点はそこではない。 「そう言われても困る。この子はお前の宮にいたのだ」 「そんな理由でか!?」 「ああそうだ。ねえ〜?」 「にゃあ!」 「見てごらん、とってもお利口さんだろう? 言葉をわかっているみたいだ」 自分は一体何をしに来たのか。アイオリアの頭に一抹の疑問が浮かぶ。これではまるで、わざわざ好き好んでサガの親ばか自慢を聞きに来たようではないか。カミュやムウの弟子自慢と言いミロの恋人自慢と言い、しかもムウに至っては一々嫌味くさいし、十二宮の住人は皆が皆“自慢しないと死んでしまう病気”なのか…? 「貴方の親ばかはよーくわかった。だがな、サガ。それとこれとは別問題で…」 「え…もしかしてやきもちか? 嬉しいぞ、アイオリア。昔のように甘えたいなら存分に」 「やめてくれ!!」 何がそんなに嬉しいのだろう。瞳をきらきらと輝かせてこちらを見つめる眼差しは、子どもの頃に向けられていたものと同じ。まるで久々に遊びに来た孫を甘やかす老人のようだ。確かに、小さい頃はよく可愛がってもらったと思う。 ―――でもな、サガ。オレはもう子どもじゃないんだ。それに、半療養中の貴方に甘えるほど落ちぶれてもいないつもりだ。ああもう、そんな悲しそうな顔でオレを見るな! 「…あ…その…怒鳴ってすまん」 「いや、わたしの方こそすまない。そうだな、アイオリアはもう立派な大人だものな」 「わかってくれれば、いいよ…」 言い争う気力が一気に失せてきた。眩しそうにこちらを見上げるサガに悪気があるとは到底思えない。とは言って、今朝方のカミュのように勘違いが原因で飛び込んで来られては迷惑千万である。もとより口下手なアイオリアにとって、一から十まで詳細を説明することは難しい。瞬時に言葉を選ぶことは苦手だ。やはり、どうにかして名前を変えてもらいたい。 何より、例の歌詞になぞらえるのであれば、該当する名前は“サガ”ではないのか…? 「…けど、な。いくら獅子宮で拾ったからって、オレは関係ないだろう。そんなに名前をくれてやりたければ、貴方が自分の名前をくれてやればいい」 「何故だ? 同じ宮にわたしが二人もいたら困るだろう。カノンが帰ってきた時やアイオロスはどうするのだ?」 「知るか。困るのはオレの方だ。とにかく、紛らわしい名前は勘弁してくれ」 「うーん…。どうすればいいと思う?」 「にゃあ…」 不恰好に伸ばしていた腹と脚は、いつの間にか身体の内側に収納されている。サガが話しかけると、もこもこの球体は頼りなさそうに一度鳴き、そのまま眠りに落ちて動かなくなった。 「寝たか…」 「ああ。猫は良く眠ると言うが、本当だな」 ふふっと微笑みながら猫を撫でるサガは、言うなれば深層の令嬢のよう。多少の語弊はあるかもしれないが、アイオリアの目にはそう映る。少しでも乱暴に扱えば、いとも簡単に壊れてしまいそうな。同世代なら誰しもが憧れた、最強と謳われた聖闘士なのに。 しかし、そんな見た目に反してサガは意外に頑固者だ。このまま続けても、話は平行線を辿る一方だろう。 「頼むから、考え直してくれよな…」 「……。ああ…」 頷いてはいるが、改名は十中八九されないと思っていい。諦めたアイオリアはがっくりと肩を落し、とぼとぼと双児宮を後にした。 気が付けば外はすっかり暗くなっている。帰り道でアイオロスとすれ違った。これからサガと会うためか、それとも他に理由があるのか。機嫌はすこぶる良いらしい。 気にするな、と言って元気付けてくれた兄の笑顔が、今日はほんの少しだけ恨めしかった。 (※)蒼のエーテル(マクロスF)/JASRAC 出1406389-401 |
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