Saint Seiya > 猫と獅子と絶対零度−家族が増えました− |
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カノンは数か月ぶりに双児宮へ戻ってきた。海闘士の筆頭として忙しく動き回る彼が、早くから準備を進めて勝ち取った休暇だ。どこへ行くつもりだ。さぼるな。夕飯までには帰って来い―――と、ひとまわりも歳の離れたソレントは何かと口煩い。 それにしても、思い出すだけでムカムカする。あいつめ、「玉砕しても慰めてあげませんよ」なんて抜かしやがった。確かに“あの”アイオロスだ。俺がいないのをいいことに、それはそれは兄貴を可愛がっていることだろうよ。くっそ、俺が帰った時ぐらいすっこんでろ。まあ、どのみち追い出すけどな―――! チュイィィィン―――。 カチャ、カチャ…チュイン―――! 「…で、何してんのお前ら」 ともあれ、どんな方法で追い出そうか。あれやこれやと策をめぐらすカノンを出迎えたのは兄ではなく、彼の寝室の前で陣取る見知った二人組と、断続的に響く機械音だった。 「よお、カノン。久しぶりだな!」 ミロがのん気に挨拶をしている間も、カミュは黙々と作業に没頭している。見たところ、電動ドリルで固定しているものは市販のドアノブだ。今までのものが壊れてしまったらしい。物には寿命があるから、別に不思議なことではない。 ―――が、何かおかしくないか。主に面子が。 「どうでもいいけど、何でお前らなわけ?」 「ああ、これさ。カミュが…んぐ……っ!!」 事情を説明しようとしたミロの口を、カミュが持っていた工具を放り出してバッと塞ぐ。 「まあ、その、事情があってな! あっ、そうだ。サガなら今日から仕事に出ている。会いに行かないのか?」 「誰が行くか。いつになったら直るんだ、それ」 「夕方までには終わるだろう」 「あ、そう」 深く詮索するつもりはない。もとい、この二人にさしたる興味はない。「せいぜい頑張れや」と言い残して出て行ったカノンは、サガの帰りを待つべく隣の宮へと向かった。 猫といえば、猫じゃらし。何処で仕入れてきたものか、先端に付けられた飾りを軽く振り回すと、茶トラの子猫が楽しげにそれを追い回している。 「ほれほれ。おお、楽しいか〜?」 「うにゃ! にゃ! にゃ!!」 デスマスクは猫じゃらしを忙しなく動かして“アイオリア”と遊んでいた。服装の好みも手伝い、街を歩くと一般市民に恐れられて道が空くほどの強面が、心なしか緩んでいる気がする。 「…お前、相変わらずヒマなのな」 壁にもたれ掛かり腕組みをして、にやにやと見下ろしながらカノンが偉そうに言い放つ。勝手に進入した上に憎まれ口まで叩くのは、少なからず心を許している証拠だ。 「ヒマじゃねえよ。ご主人様が帰ってくるまで預かってんの。わかる? お前のだ〜い好きなお兄様の飼い猫なわけ。おっ、腹が減ったのか? よしよし、今メシやるからな〜」 「にゃ〜」 カノンの態度を甘んじて受け入れているデスマスクは、特に文句を言わない。待ってろ、と言って用意したものは、浅い皿に盛られた猫のえさ。よほど上手に躾けたらしく、行儀良く床に座ってはむはむと美味しそうに食べている。 「楽しそうだな」 「ああ、色んな意味でな。ちなみにこいつの名前、何だと思う?」 「知らねえよ」 「アイオリア、だぞ」 「…何考えてんだあのバカ兄貴。で、人間の方は何て?」 「猛反対してる」 「そりゃそうだろうな。ペットに自分の名前つけられたらいい気はしないだろうよ」 「それが、な…」 巨蟹宮は、獅子宮のひとつ下にある。一連の騒動を、デスマスクが知らないはずはない。自ら進んで面倒事に首を突っ込む性格ではないが、アイオリアとカミュという組み合わせは違和感がある。しかも、先立って小宇宙が高まり始めたのはカミュの方。何やら楽しそうじゃないかと精神を集中させ、小宇宙を通じて彼らの様子を探ったのだ。 つまり、彼は自宮に被害が及ばないことだけを願いつつ、面白がって一部始終を静観していたのである。要するに野次馬根性だ。 「―――ぶはっ! アホだな!!」 「だろ!?」 二人の手には、飲みかけの缶ビール。“アイオリア”の食事を調達するついでに、冷蔵庫から取り出したものだ。デスマスクが面白おかしく聞かせた先日の出来事は、完全に酒の肴である。げらげらと笑いながら、カノンは残りのビールを飲み干す。 事情がわかれば、カミュがミロを黙らせた理由も納得だ。 「にゃんこちゃんも災難だなあ!」 「そうそう。んで、サガも譲らないんだこれが」 「可愛いくせに強情だからな、あいつ…って、もうこんな時間じゃねえか」 「帰るならこいつも連れてけ」 話に夢中になっているうちに、いつの間にか時間が過ぎていた。ほれ、とデスマスクは“アイオリア”の首根っこを掴んでカノンに差し出す。嫌がる素振りを全く見せない彼は、全身がだらーんと伸びている。 飼い主と同じにおいを感じて安心したのだろうか。カノンの腕に抱かれた彼は、小さく一鳴きした後に瞳を閉じた。 サガはちょうど帰って来たところらしい。双児宮の入り口で、カミュと何やら立ち話をしている。 「…サガ、今回はすまなかった」 「ああ、気にしないでくれ。だがな、カミュ。聖闘士はただでさえ普通の人より力が強いのだから、ドアの開け閉めには注意するんだぞ?」 「う、うむ…。以後気をつけよう…」 「今度同じことしたら怒るからな? …めっ」 サガはピン! とカミュの額を軽く弾いた。「仕方のない子だ」と言って柔らかに微笑む表情は、怒っているそれとはほど遠い。案の定、カミュは頬を赤らめてぽうっと放心している。 ((―――羨ましい!!)) 傍らで工具箱を抱えたミロと、猫を抱えたカノンの目線が合った。対象こそ違えど、彼らの胸の内はほぼ一緒。後で“おねだり”してみようと思っている点も。 「さあ、ミロ。帰ろうか。今日はありがとう」 「なあ〜に、カミュの頼みならどってことないさ。じゃあな、カノン。猫に嫉妬すんなよ!?」 何言ってんだこいつ、と呆れながらカノンは二人を見送る。一体何が悲しくて、サガの飼い猫に嫉妬しなければならないのか。 「帰っていたのだな、カノン。おかえり。アイオリアも!」 差し出された両腕に“アイオリア”がぴょん! と飛び移った。サガはそのまま胸元まで抱き上げて、すりすりと頬を寄せ始める。ちょっと待て。溺愛しすぎじゃないか…? 「すまない、寂しかったか?」 「にゃ〜」 微妙な疎外感を覚える。兄の優先順位の頂点は猫だと、暗に言われているようだ。 「可愛いだろう? この子は…」 「“アイオリア”っていうんだろ?」 「なんだ、知っていたのか」 「まあ、な」 「そうか、なら紹介する必要はないな。カノ…あっ、もう…またっ」 弟の名前を言いかけたサガの顔を“アイオリア”がぺろぺろと舐める。ぴったりと寄せた頬はそのままに、嬉しそうにじゃれ始める兄は楽しそうで何よりだが、この敗北感は何だ。 ―――ミロが言っていたのはこの事か。しかし、妬いたら負けだ。猫より弟の相手をしてくれ。そう喉元まで出かかった言葉を飲み込んだカノンは、サガの背中にさり気なく腕を回して宮の中へと導いた。 陽が沈み、あたりがすっかり暗くなった頃、双児宮のリビングで喧々囂々と言い争う二人の姿があった。趣味の長風呂を堪能するサガを待ちわびる、アイオロスとカノンである。 「お前さあ、遠慮ってもんを知らないの? いい加減帰れよ」 「君こそ兄離れした方がいいんじゃないかな?」 「うっせ。兄貴は俺がいないと生きていけないんだよ!」 「ああ、それなら心配いらない。私がついている」 カノンにとっては大好きな兄、アイロオスにとっては愛しい恋人。両人揃って一歩たりとも譲らない。帰れ、断る、帰れ―――と、不毛な争いは加速を続ける一方だ。 「お待たせ」 そこに、ようやくサガが風呂から戻ってきた。パイル生地で織られたバスローブに身を包み、湿り気を残す髪を無造作に束ねている。薄っすらと湯気が立ち上る全身からは、ほんのりと石鹸の良い香りが漂う。 嗚呼、今すぐ剥きたい! 押し倒して優しく愛撫して、隅々までむしゃぶりつきたい―――!! 「「サガ、一緒に寝よう!!」」 咄嗟に提案した二人の声が重なる。思わず目が合ってしまい、カノンがぷい、とそっぽを向く。 「? 随分仲良くなったのだな。嬉しいのだが、三人で寝るのは無理があると思うぞ。それに…」 す、としゃがんだサガの目線が足元に移る。そこに居るのは、先ほどから足元に纏わりついて離れない“アイオリア”。 「わたしはこの子と一緒に寝るんだ。ね〜?」 「にゃあ!」 サガは肩に飛び乗った“アイオリア”の頭を撫でながら立ち上がり、そのままスタスタと寝室へ向かう。 「だから、二人とも遊んでいないで早く寝なさい。明日に響くぞ?」 ―――ぱたん。 おやすみ、と言ってサガは無情にも寝室のドアを閉めた。慌てて引き止めようとする二人のことは、全く意に介していない様子。 「…なあ、エロ教皇」 「何かね、ブラコン君」 「俺たち、負けたのかなあ…」 「負けたんだろうなあ…」 「………」 「………」 壁の向こう側から、一人と一匹の楽しそうな声が聞こえる。取り残された彼らの間に、何とも言えない気まずい沈黙が流れる。 「まあ、飲むか」 「そうだな、呼ばれるとしよう」 思いもよらない刺客の登場に、完膚なき敗北を喫した。はは、と渇いた笑いを漏らしたカノンは、手にしたワインを用意したふたつのグラスに半分ほど注ぐ。 まずは“奴”を手なずけてみてはどうか。否、それよりも追い出した方が早くないか。だがそれではサガが悲しむし、バレたら怒られるどころか口すら利いてもらえなくなる恐れがある。じゃあどうする? 手なずけても追い出してもだめ。ならばいっそ猫になって、サガに“可愛い可愛い”されたい―――! 解決策などあるはずもない作戦会議は、同じ話題を幾度となく繰り返す。やがて程好く酔いがまわり、床に転がって熟睡してしまった二人の身体は、互いの虚しさを埋め合うように寄り添っていた。 (おわり) |
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