Saint Seiya  > 猫と獅子と絶対零度−家族が増えました−

2. 覗きではありません
<<前のページ  もどる  次のページ>>

 双児宮に新たな住人が増えてから数日が過ぎた。
 街で買い物を済ませたミロとカミュは、のんびりと十二宮の階段を上っていた。二人揃っての休日に、そろそろ涼しい洋服でも買いに行かないかと提案したのは、聖闘士の中でもおしゃれな部類に入るミロだった。
「そういえば、さあ…」
 金牛宮を通り過ぎたあたりで、ミロがふと思い出したように話題を振る。
「どうした?」
「最近のサガ、どう思う?」
「どう思う、とは?」
 のんびりとはいえ彼らの歩幅は広く、歩くペースも普通の人より遥かに速い。はて、と頭を捻るカミュの視界には、いつの間にか近づいていた双児宮の入り口が映っている。
「何ていうか、昔と違うっていうか。サガもアイオロスも、絶対何か隠してるよな」
「…、そうだな…」
 カミュもまた、日頃よりサガの身を案じてやまない一人だ。少し考え込んでから頷いた表情には、微かな憂いが見え隠れする。
 以前に一度、サガが倒れる瞬間を目の当たりにしたことがある。「軽い貧血だ」とアイオロスは言った。けれども、血相を変えて飛んできた彼の切迫した表情は尋常ではなかった。確実に“何か”を隠している。それはきっと、あまり喜ばしくないことだ。
 周囲の胸中を知ってか知らずか。サガはよく、アイオロスのことを過保護だと言う。「わたしは双子座の聖闘士だ。心配されるほどヤワではない」と、怒るのだ。
「でもさ、やっぱ心配だよなー。何だろう、守らなきゃいけない感じ?」
「…ミロ。それは本人の前で絶対に言うんじゃないぞ」
「言うわけないじゃん。サガってめちゃくちゃライド高いし、今も絶対“守る側”だと思ってそうだもん」
「そうか。お前にしては上出来だ」
「何それ! 俺がバカみたいじゃん!?」
「違うのか?」
「酷いよカミュ!」
「冗談だ」
 カミュはふっ、と笑って黄金色に輝く長いくせ毛をくしゃくしゃと撫でる。明るい性格と軽い口調で能天気に見られがちだが、いざという時の判断力に優れるミロは頭の切れる男だ。子どもの頃から勉強こそ嫌っていたものの、本を読むだけでは得られない多くのものが、彼には先天的に備わっていた。
 何だかんだ言いつつ、カミュはいつもミロと行動をともにする。自分とは対照的な行動力。軽薄そうに見えて、本当は人一倍仲間を大切にする思慮深さ。それら全てを含め、彼の人間性に惹かれているからこそだ。サガに対して抱くものが尊敬や憧れの類ならば、こちらは純粋な恋心なのだろう。
 もちろん、そんな想いを本人には死んでも言うつもりはないけれど。

 各々の宮に戻り荷物を置いた二人は、再び双児宮へやって来た。何日も姿を見せないサガの様子が気になり、どちらからともなく見舞いに行こうという話になったのだ。
 鍵のかけられていない玄関の扉をくぐる。リビングには誰もいない。寝室で休んでいるのだろうか。
「サガ、入るぞ…?」
 やはりそこに居るのだろう、彼の小宇宙を感じる。眠っているかもしれない、起こしては申し訳ないと思い、カミュが寝室のドアノブを静かに回そうとした時―――。
(―――あっ、ぃや…っ)
 一瞬聞こえた艶めかしい声。間違えるはずがない、サガのものだ。
「どうしたカミュ、開けないのか?」
「…シッ!!」
 ミロに呼ばれ、全身を硬直させていたカミュがはっと我に返る。ドアノブを掴んだまま顔だけを向けて、空いた手の人差し指を口に当てる。静かに、のサインだ。
 何事かと不審に思ったミロも、ドアに近づいて耳を澄ます。
(…っ、そんなとこ…舐め…あっ)
(や…くすぐった…い…!)
 やはり気のせいではない。サガの濡れ場を思わせる掠れた声と台詞が、ミロにもはっきりと聞き取れた。中で繰り広げられているであろう行為を想像すれば、こちらまで欲情してしまいそうだ。
 相手はやはり、アイオロスだろうか。時刻はまだ夕方、こんなに明るいというのに。さんざん心配して休ませておきながら、やる事はきちんとやるんだな。もっとも、教皇だって人間だ。溜まるものは溜まるだろうし、仕方ないのか―――。
「アイオロスもお盛んだなァ」
「……」
「…カミュ?」
 ミロの言葉には気付かず、カミュはドアにピッタリと耳を押し当てている。中腰の姿勢で息を潜め、時折り眉をひくつかせながら聞き耳を立てる様子は、盗聴以外の何でもない。
「カミュ」
 睦事の最中とわかれば長居は無用だ。何より、サガが元気そうで良かった。そう思いながら、今度は少し語調を強めて声をかける。
「な、なな、何だ!? わたしは、べ、別に覗き…など…っ」
 これほどまでに動揺するカミュを、今までに見たことがあるだろうか。常日頃より色事に感心が薄く、周囲にストイックな印象を与えている彼の意外な一面だ。ミロにとっては嬉しい発見である。
「お前、何気にスケベなんだな。そんなに聞き耳立て―――」

「あぁっ、もう…アイオリア!」

 何だと―――――!?
 立ち去ろうとしていた二人が、思わず顔を見合わせる。
 もとより“スケベ”と言われて頷くようなカミュではない。即座に繰り出されたアッパーが、ミロの顎下ギリギリでぴたりと止まる。今、サガは確かに「アイオリア」と言った。ドア越しゆえの聞き違いではない。恋人ではなくその弟の名前を、サガは呼んだのだ。
「へえ、アイオリアもなかなかやるじゃん。てっきり童貞だと思ってたのに、なあ?」
 サガはきれいだ。彼を抱きたいと夢見る者が、この聖域にどれほどいるだろう。しかし、アイオロスの寵愛ぶりは皆が知るところ。早まった真似をすれば、水面下で粛清されかねない。つまり、ミロが感心したのはアイオリアの“勇気”だ。いくら弟でも、ただでは済まされないだろうに。
「アイオリアめ、許さん。サガに…私のサガに…何てことを…っ!!」
 一体何を想像しているのか。あっけらかんとしたミロとは裏腹に、カミュはわなわなと肩を震わせている。その時、ぐしゃっと鈍い音を立てて何かが潰れた。怒りと興奮のあまり突入せんと再び握り締めたドアノブが、彼の手の中で粉々になっている。
「…? 誰かいるのか?」
 これだけ騒げば気付かない方が不思議だ。サガに気付かれてはまずいと、二人は一目散に双児宮から逃げ出した。

<<前のページ  もどる  次のページ>>