Saint Seiya  > せいんとせいやでドラクエ3をやってみた。 > 旅立ち編

4. 仲間達との出会い
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 世界各地に点在する冒険者ギルド。中でもアリアハンの北西に位置するルイーダの酒場といえば、古くから津々浦々の強者が集う場所として有名だ。
 冒険者として長らく国を離れる折には、ギルドの名簿への登録が強く推奨されている。そうすることにより、万が一の報が入った時に速やかに捜索の者を向かわせることが可能となる。即ち、ただ闇雲に飛び出すよりも生存の可能性が飛躍的に高くなるわけだ。また、ギルドに寄せられる様々な依頼の斡旋を受けるためにも登録は必須事項だ。旅を続けるには路銀が要る。仕事がなければ稼げないから、冒険者を名乗ることすら困難となる。報酬の一部を紹介料として収める義務を差し引いても、余程の腕利きでない限りはギルドに身を置くことが最たる安全策なのだ。

「遊び人、ねえ…」
 代々続く酒場を切り盛りする女性―――シャイナは、片肘を付きながらぱらぱらと名簿を眺めていた。つい先刻登録を済ませたばかりの二人組は、何でも双子なのだという。というより、彼らは巷で大人気のパフォーマーだ。素顔のわからないメイクに、まるでパジャマのような、全身をすっぽりと覆い隠すだぼだぼの衣裳。果ては『もりそば』『やきそば』などという馬鹿げた名前。いくら本名である必要がないとは言え、ふざけすぎだ。「テドンから来た」という申告だって怪しいものだ。
 “訳あり”の旅人は特に珍しくない。しかし、テドンといえば魔王バラモスによって滅ぼされて久しいはず。あくまでも噂にすぎないが、実際にその目で見たという冒険者は皆、口をそろえて廃墟だったと言う。おそらく、住人は全滅だったに違いない。
 そもそも、あそこは地図にすら記載されない、知る人ぞ知る小さな集落である。高名な魔法使いでさえその魔力が及ばず、瞬間移動魔法のルーラを唱えても辿り着けない場所なのだ。無論、キメラの翼を用いても同様だ。いったん村を離れてしまうと、その様子がまるで霧に包まれたようにぼんやりとした印象に変わり、いくら思い出そうとしてもはっきりとイメージできないのだという。瞬間移動を行使するためには、目的地の様子を頭の中で鮮明に思い描く必要がある。つまり、到達するには深い森の中を何日も探索できるだけの体力と、魔王配下の凶悪な魔物に太刀打ちできる戦闘能力が求められるのだ。それらを兼ね備える者は、数多の冒険者の中でもごく一握りにすぎない。
 そのような秘境の中の秘境を、いくら彼らが世界各国を旅しているかといって、あてずっぽうに挙げたりするものだろうか。それに、先日見かけたた中央広場でのパフォーマンスは、一般的な大道芸とは明らかに一線を画していた。だんまりの相方はともかく、よく喋る『もりそば』と名乗った方に関しては、控えめに見積っても並みの魔法使い以上の実力者だ。そう感じるのは職業柄もあるが、どの地のギルドにも属さず長年旅を続けてきた、その事実が何よりの強さの証明だ。
 もしかしたら、あの二人組は本当にテドンの生き残りかもしれない。だとすれば、一体何者だろうか?
 ―――からん。
「よお」
 ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に入り口の扉が開いた。同時に現れた男は、ごく一般的な旅装束の上から簡素な皮の胸当てのみを身につけている。重厚な装備を好む戦士とは、およそ正反対の風体である。軽く逆立てた淡いグレーの髪に、鋭く刺すような眸が印象的だ。
「何しに来たんだい」
「ま〜たそんな事言っちゃって。可愛い顔が台無しだぜ? シャイナちゃん」
 蓮っ葉な物言いをするが、若くして酒場を継いだシャイナはまだ若干の幼さを残す正真正銘の美女だ。濃いめの化粧により雰囲気は大人びているが、大きな瞳やぷっくりと愛らしいくちびるには、少女の面影が色濃く残っている。
「食事なら、上だよ」
「なあ〜んだ、ちゃんとわかってんじゃん?」
 チャラチャラとおどけて見せる様子に隙はない。何故なら彼は、かつて世界中に名を馳せた盗賊団の一員だったのだ。内紛によって数年前に壊滅した組織と俗に言う“盗人”との決定的な違いは、一般の民衆には絶対に手出しをしないことだった。王家や貴族といった上層部の目には留まらない末端の秩序を、彼らは長い間守り続けてきた。無論、そのためには“汚い仕事”も数多くこなしてきた。必要悪であり、それらを含めた全てが団員の誇りだった。
 残念ながら、今となっては野盗や山賊に成り下がった者も少なくない。職を失い、手っ取り早く食い扶持を求めた者達の哀れな末路だ。けれども銀髪の男―――デスマスクには、落ちぶれる理由がなかった。持ち前の機敏さと、いかなる状況でも切り抜ける頭の回転の速さと勘。加えて、幼い頃より培った洞察力に群を抜いた器用さ。組織を離れても食べていけるだけの腕が、彼には十分すぎるほど備わっていた。ある時は行き倒れと思しき死体を教会に届け、またある時は前人未到の遺跡に潜って宝探しに明け暮れる。愛用の短剣を血に染めずとも、飯の種はそこらじゅうに転がっていた。
 そんな気ままであてのない一人旅を続けてきた彼が、ここアリアハンの地で冒険者ギルドに名を連ね、暫しの滞在を決め込んだ理由は極めて単純だ。美味いものと美女である。一年前、ふらりと立ち寄ったルイーダの酒場で摂った食事は、値は張ったけれど旨かった。入ってすぐのカウンターで帳簿を開く女性も、若干幼いが美人だった。誘っても素っ気なくかわす所が、まるで“誰かさん”のようで気に入った。審美眼には自信がある。
「じゃあな、シャイナちゃん。今夜は俺様が最高の夜をプレゼントするぜ?」
「…ったく。バカなことばかり言ってないでさっさと行きな」
 相変わらずの反応を示す彼女に投げキッスを送ると、デスマスクは上機嫌で階段を上る。今日は、ごちそうだ。

 八月も半ばを過ぎ、じきに脱皮を迎える季節はまさに旬。水揚げ後すぐにボイルされた、選りすぐりの大物の引き締まったぷりぷりの脚には、言い表すことのできない旨みがぎゅっと詰まっている。例えて言うなら、この世の美味を全て集めて凝縮したような。
「ん〜っ、今年も会いたかったよ〜」
 テーブルに置かれた皿を水平に持ち上げ、ちゅっちゅっ、と繰り返し口付ける。盛られているものは、始めて口にした日からデスマスクを惹きつけてやまない―――皿からはみ出るほどに大きな蟹だ。鮮やかで豪華な姿を脳裏に焼き付けたら、一本一本丁寧に脚を外す。次に、形を崩さないよう優しく取り出した身を、新しい皿の上にきれいに並べていく。殻はしゃぶり、出汁の一滴まで味わい尽くすことも忘れない。甲羅の部分はぱっくりと割り、剥き終えて整然と並べられた身に想いを馳せながら、まったりと絡みつくような“みそ”の濃厚な旨みを堪能する。これだけでも極上の贅沢だが、フィナーレはここからだ。温くもなく冷たくもない、理想の温度に調整したぶどう酒を用意すれば、年に一度の至福の時間が訪れる。季節のものは多々あれど、その中でもごく限られた期間しかお目にかかれない“超”限定品なのだ。信仰心など微塵も持ち合わせていないが、この時ばかりは合掌せずにはいられない。
「いただきま…」
 ―――ひょい!
 指先でつまみ上げ、おもむろに口へ運ぼうとした瞬間だった。愛しの佳肴が、目的を達成する前に目の前から忽然と消えたのである。
「…なっ、何っ!?」
 予想だにしない唐突な出来事に、ほんの一瞬だけ思考が止まる。柄にもなく慌てて振り返ると、白塗りの顔にカラフルなメイクを施した―――街の広場で拍手喝采を浴びていた二人組の、よく喋る方が張り付くように立っていた。気配すら感じさせずに、一体どうやって沸いてきたというのか。
「うん、美味い。これはなかなか…」
 表情こそ見えないが、口を動かしながら頷く様子は満足そうだ。ひょい、ぱく。ひょい、ぱく。呆気に取られるデスマスクを他所に、彼は次から次へと蟹の身を食べていく。
「サ…おっと。やきそば、お前も食うか? 何、ブツブツ出るからいらない? そっかー。こんな美味いもん食えないなんて気の毒だなあ」
 寡黙な相方はプライベートでも喋らないようだ。少し離れた場所で首を横に振っている。否、そんなことはどうでもいい。ただでさえ一杯分しかないのに、これ以上食われてはたまらない。たっぷりと時間をかけて味わう予定だったのに、既に半分がなくなってしまった。とんだ災難だ。
「…おい」
 もぐもぐ。
「…おい」
 ぱくぱく。
「…おい!!」
「ごちーそさん。いやあ、全部剥いてくれるなんて気が利いてるじゃねーか」
 断続的に伸ばされる手を跳ね除けようとしても、皿ごと移動しようとしても、とにかく何をしても無駄だった。こちらの動きを見切れる人間など、いるとすれば手練れの武闘家くらいのはず。それなのに、奴はこちらの存在などないかのように食べ続け、とうとう平らげてしまった。
「こんなもんで足りるだろ」
 あまつさえ、ピンッ! と指先で弾かれた金貨が額の中央に命中する始末。
(!? この俺が、避けれなかった…だと…!?)
 最初に気付けなかったことも含め、始めて受ける屈辱だ。反射神経が人一倍優れているのは、決して思い込みではない。戦闘らしい戦闘をせずに旅を続けてきたことが何よりの証拠。でなければモンスターや賊の大群にあっという間に包囲され、回避どころかとっくの昔にお陀仏だ。
 チャリン、と金貨が床に落ちた音で我に返る。同時に、腹の底から明確な殺意が沸いてきた。
「貴様…何したかわかってんだろうな?」
「蟹食った。すげー美味かった。それがどうした?」
 すかさず掴んだ胸ぐらを解こうともせず、何食わぬ顔で飄々と言ってのける。どこまでも人を小馬鹿にしきった態度に、堪忍袋はもう限界。人殺しはしない主義だが、こいつだけは許せない―――温厚なデスマスク様にも我慢の限界ってもんがある!
(おい、あのデっさんがマジで怒ってるぜ?)
(あちゃー。あの大道芸人死んだな…)
 うまみのある仕事を得るには、人脈を駆使した情報収集に勝るものはない。斡旋もひとつの手だが、手数料を取られない分、よりうまみが増す。だから、アリアハンに滞在を決めたデスマスクが真っ先に行ったことは、酒場の常連に溶け込むことだった。冒険者の集まりである以上、弱くてはまともに相手にされない。気さくに振る舞う人柄の上に実力が伴ってこそ、二つ名で呼ばれるほどに慕われるのだ。
 ひそひそ、ざわざわ。酒場に居合わせた者達が二人に注目し始める。いったん静まり返ってから、徐々にざわめきが広がる。中にはどちらが勝つか、賭けに出る者もいるようだ。大穴は言うまでもない。
「表に出ろ」
「ああ?」
 これ以上騒ぎを大きくするわけにはいかない。ぱっ、と放り出すように手を離したデスマスクがそう言うと、何とも面倒臭そうなやる気のない返事が返ってきた。そんな彼の服の袖を『やきそば』と呼ばれた相方がくいくいと引っ張っている。やめろ、と言っているのだろう。
「何? お前まさか、俺がこんなショボい奴に負けるとか思ってんの?」
 ―――ふるふる。
「じゃあ別に問題ないだろ。なぁ〜に、心配すんな」
 ―――ふるふる。
「あちらさんが殺(や)る気満々なんだから仕方ないだろ? 殺意だだ漏れの間抜けな盗賊に、俺がやられるわけないじゃん。……なあ?」
「…!?」
 一方的な会話を終え、ちらとこちらに向けた顔は間違えなく“嗤って”いる。今までに感じたこのない、得体の知れない薄ら寒さは一体何だ…?
「仕方ないから付き合ってやるよ。ついでに俺の名前はもりそばだ。教えてやっただけ有難く思え?」
 くるりと背を向けた彼は、先ほどとは打って変わって足早に酒場を後にする。その時、ふと気付いた。小走りで後を追いかける『やきそば』の歩幅が、『もりそば』のそれに比べて明らかに小さいのだ。
 デスマスクは確信した。無言の相方が“女性”であることを。

 壁に挟まれた細い路地は、昼間であっても陽が遮られて薄暗い。そして、すぐ先は行き止まり。
(自ら逃げ道を塞ぐとは愚かな奴め!)
 あえてもりそば(と名乗った男)に誘導された場所は、敵を追い込むには絶好のロケーションだった。壁に背を預け、余裕綽々と待ち構えるこの道化はじきに死体と化すだろう。言葉通りの“人形”になるのだ。片割れには悪いが、完全に自業自得だ。
「冥土の土産に覚えておけ。俺こそが天下一の大泥棒、デスマスク様よ!」
 名乗りを上げると同時に、懐に隠し持った短剣をコンマ数秒の速さで利き手の袖に滑り込ませた。気取られずに敵を仕留める時の、常套手段だ。
「……」
 あれだけ饒舌だった奴が、こちらに顔を向けて硬直している。土壇場にきて恐れをなすくらいなら、初めから黙っていれば良いものを。
「ふん。ビビって声も出ないってかぁ?」
「……っ」
 ほんの少しだけ、口元がぴくりと動いた気がした。だがもう遅い。今さら大口叩いたことを後悔し、命乞いをしても容赦はしない。人の食事、それも極上の珍味を横取りした挙げ句、さんざんこき下ろしてくれた罪は重い。潔くあの世へ逝け!
「ぶ―――――ッ!!」
「なっ、バ…バカな!!」
 だが、次の瞬間。もりそばが盛大に吹き出したのと、デスマスクが半歩後ずさったのは同時だった。
 ―――信じられないものを見た。左胸めがけて投げた短剣が、真後ろの壁に突き刺さっているのだ。ナイフ投げなら百発百中の腕、狙った獲物は逃がさない。ましてや至近距離で放ったのだ、軌道が逸れるなんて慣性の法則に反している。何が、どうなって…?
「だっせえええええ!! デスマスクぅ? 何その恥ずかしい名前! お前他に本名あんだろ!? 笑わないでやっから言ってみろ? なっ!? ぷぷぷ…っ」
 デスマスクの戸惑いを知ってか知らずか、彼は言いたい放題だ。壁に垂直に刺さった短剣を引き抜くと、笑いすぎて滲んだ涙を片手で拭いながら、ほれ、と言って投げつける。受け取ったタイミングを見て、彼は追い討ちをかけるように言葉を続ける。
「あとそのナイフ、隠してるつもりかもしれんが見えてるぞ。甘いんだよね〜、詰・め・が」
「ぐ…っ」
「まっ、今回はやきそばに免じて許してやるが、次はない。わかってる…な…?」
 そう言いながらデスマスクの胸部をとんとん、と裏返した拳で小突く。適当に見えるが、突いた箇所は手練だからこそわかる一撃必殺の急所―――間違えない。この男は一介の大道芸人などではない。否、むしろ人間離れしていると言って良い。もしやと思ってはいたが、あのパフォーマンスはおそらく魔法によるものだ。それも、かなり高等な。
 どんなマジックにも必ず仕掛けはある。旅をしていれば、彼らのような者に遭遇する機会が偶にある。だが、そのいずれもデスマスクの目には子供騙しにしか映らなかった。しかし『もりそば』『やきそば』の二人組だけは、初歩的な手品でさえ“タネ”が見えなかったのだ。これで合点がいった。
「ふ、ふんっ! 今日のところは許してやらあ!」
 そうとわかれば逃げるが勝ち。情けなく聞こえるが、勝ち目のない相手と最初から戦わないことは、生き抜く上で一二を争う重要な戦術だ。恥じることではない。
「あらそう。で、お名前は?」
「本名だよ! お頭からもらった大事な名前なんだよっ!! だいたいなあ、『もりそば』なんて名乗る奴に言われたかねーよ!」
「ふーん。そのお頭とかいう奴も大したことねえな」
 育ての親で、盗賊団の頭領だった男。『大したことない』だなんて、とんでもない。義理堅く統率に優れた、デスマスクが生涯で唯一尊敬する男なのだ。このような罵倒を受ける筋合いはない。だが、今は相手が悪すぎる。盾突くだけ時間の無駄だ。
「まっ、どうせあんただって適当に考えた偽名なんだろうけどよ」
「うん? 何のことだ、 蟹野郎」
「かっ、かに…やろう……!?」
 突拍子もない呼び名に、思わず聞き返してしまう。第一、そう呼ばれるほど蟹は食えていない―――こいつのせいで!
「おうよ。喜べ、このカ…もりそば様が貴様の名前をつけてやる。お前なんか蟹で十分だ。じゃあな」
 もはや何も言うことはない。ひらひらと手を振りながら立ち去る後ろ姿を見送りながら、デスマスクは己の運の悪さを呪った。しかし、もりそばが二度ほど漏らした頭文字を、彼は聞き逃してはいなかった。
(ともんでねえ“俺様”も案外抜けてんのな〜)
 詰めが甘いのはどっちなんだか。あの調子なら、根気良く探ればそのうち“ポロリ”するかもしれない。ならば、慌てる姿を拝むのもまた一興―――。
 必ず正体を暴いてやる。デスマスクは、そう心に固く誓った。食い物の恨みは怖ろしいのだ。

***

 朝一番に酒場を訪れた冒険者―――と言うにはやや語弊がある。耐久性に優れた厚手の生地で織られた服に、中身の詰まった麻袋。背負った剣は重量感のある鋼鉄製で、扱いには相応の腕力が求められる代物だ。しかし、そのいずれにも使い込まれた痕跡は見当たらない。今初めて旅立たんとする、言わば冒険者の卵だ。
「シャイナさん、名簿見せて!」
 開口一番に彼は言った。居ても立ってもいられない様子から、広い世界に憧れる子供のような幼さが漂う。
「…なんだい。ちょっと見ない間に逞しくなったと思ったら」
 ちっとも変わってないじゃないか。そう言いながらカウンターに名簿を置くと、シャイナは微笑ましげにふふっと笑う。
「はいはい。でもその前に、あんたの名前も登録してもらうからね」
「え、あ…はい…」
 兄を探すという長年の夢。二年間の修行を経てようやく実現する日に、体裁を気にする心の余裕はなかった。笑い声にはっとなり、つい夢中で身を乗り出してしまった自分に気付いて頬を赤らめる。
 昔から冒険には興味があったから、酒場での雑用の合間を見つけては旅人達に武勇伝を強請った。智勇にすぐれ神童と称された兄と瓜二つな、けれども少し頼りなさげで素直な少年は皆に可愛がられた。そんな昔を思い出して、シャイナは笑みを漏らしたのだ。嫌味がないことは長年の付き合いでわかる。だが、彼は大人になったばかりの十八歳。慣れていたはずの子供扱いがやけに気恥ずかしい。
「ほら、最後まで読んだらここにサインして」
 名簿より先に手渡された紙には、ギルドの決まりごとが事細かに並べられている。一度に組めるパーティーは四人まで。報酬の分配は仲間内での話し合いで決め、ギルドは関与しない。無論、争いはご法度だ。そして、実績のない者は腕前を測るための“試練”を受ける必要があること―――大まかな内容は以上だ。これらのうち、ひとつでも約束を違えばギルドからは即追放となる。
 艶やかなマニキュアに彩られた爪先が、紙面の最下部を示す。申し訳程度に設けられた、名前を記すための空欄だ。五文字詰めるには若干足りないかもしれない。
 アイオリア。枠からはみ出して、一字一句丁寧に書いた。隅から隅まで念入りに目を通すと、旅立ちの興奮を差し置いて一気に膨らんだ緊張感に支配された。ペンを握る手が小さく震えていた。

「ま、ま、マ…」
「何言ってんだい。あんたのママはあっちだよ」
 シャイナが指差したのは、アイオリアの家がある南の方角。
「違う! オレは…あった!!」
 この期に及んで母恋しいなど、冗談じゃない。全力で反論しつつ、数多の冒険者リストから見出した名前は“マリン”。兄の幼馴染で、女だてらに腕利きの戦士だ。この辺りでは見かけない黄色味を帯びた肌に、鉄兜の下は美しくバランスの取れた理想的な顔立ち。その名を口にするだけでドキドキするほど、大好きな存在。彼女と一緒に旅立つことを、ずっと心に決めてきた。
 ―――立ちはだかる凶悪なモンスター達。傷つき、倒れる仲間。
『く…っ、あたしとしたことが…!』
『マリン! 大丈夫か!?』
 駆け寄るオレ。だが、手持ちの薬草は尽きてしまった。まさに打つ手無し、全滅するのも時間の問題だ。嗚呼、精霊ルビスよ! 今こそオレに力を!
『うおおおおおおおおお―――――ッ!!』
 その時、奇跡が起きた。全身に不思議な力が漲る。沸き上がる雄叫びとともに振り上げた剣は、聖なる力を帯びて眩いばかりの光を放っている。これなら、やれる!
 ―――ズバァ!!!
『や…やった…!』
 一刀両断にされた魔物は、断末魔を上げる間もなく息絶えた。次は、傷の手当てだ。今なら、魔法すらも自在に操れる気がする。息も絶え絶えに身体を起こそうとするマリンを優しく制しながら、すう、と精神を集中させる。胸に手を当て眸を閉じ、厳かに祈りの言葉を紡ぐ。
『…ベホマ!』
 やはり、できた。どんなに酷い怪我も瞬時に治癒してしまう、神秘の回復魔法。深手を負った全身から、傷口がみるみる塞がってゆく。
『あんたに助けられる日が来るとはね。強くなったね、ありがとう』
 立ち上がった彼女は、かかとを少し浮かせてオレの頬にそっと口付けを―――。
「リア坊、リア坊」
「…えっ?」
 彼女はそんな呼び方をしない。驚いて聞き返すと、呆れ顔のシャイナが長いため息を漏らしていた。
「夢を見るのは勝手だけど、そんなんじゃ三日と経たずにやられちまうよ?」
 かあ、と全身が熱くなる。これまでにも何十回、何百回とシミュレートを重ねた場面だが、いざ図星を指されてしまうと恥ずかしくて居たたまれない。
「シャイナさん! オレ、この人とパーティー組むっ!!」
 けれども、意思表示をしないことには始まらない。一度は下に向けた顔を思い切り上げて、アイオリアは高らかに宣言した。お目当ての名前の上に、人差し指をぎゅうっと押し当てながら。だが―――。
「そんなにぞろぞろ仲間がいるのにかい?」
「はあっ!?」
 今、何て? 彼は耳を疑った。ここには間違えなく一人で来たし、シャイナとの一連のやり取りの間に誰かが来た様子もない。単なる勘違いではないだろうか。
「仲間なんていな…」
 そう言いかけた時、不意に気配を感じた。ぽんと沸いて出た、としか言いようがない。アイオリアとて戦士の端くれ、背後に立たれて気付かぬほど鈍くはない。首を捻って後方を見やると、見覚えのある二人組が立っている。さらに彼らの後ろには、腕組みしながら壁にもたれ掛かる盗賊らしき男の姿。
「安心しな。そいつらもうちに登録してる遊び人と盗賊さ」
「え、ちょ、オレ…」
 遊び人などという職業は前代未聞だ。確かにパフォーマスは魅力的だったが、自ら“遊び人”と名乗るような連中と生死を共にしようとは思わない。盗賊だって然りだ。本来ならば捕らえるべき対象と、何が悲しくて一緒に世界を回らなければいけないのか。断じて願い下げである。
「そうは言ってもねえ。ほら、ここに書いてあるだろ?」
 パーティーを組んだ覚えはない。必死で否定するアイオリアに、シャイナが一枚のメモを手渡した。旅立つ前、これから作成するはずの編成表―――明らかに自分のものではない筆跡で『りあたん』『もりそば』『やきそば』『かに』と書かれている。『かに』の本名は『デスマスク』なのだろうか。ぐしゃぐしゃに塗りつぶした上から、薄っすらと元の名前が見える。悪意に満ちた悪戯としか思えないのは気のせいか。
 否、そんなことよりも。一体誰が? 何の目的で? いつの間にこんなことを…?
「ねえ! どういうこと!? 何がどうなってるの、シャイナさん!!」
「諦めな。それが、あんたの星の運命さ」
 怒涛のような質問攻めを、あろうことかシャイナはばっさりと切り捨てた―――そんな運命お断りだ! オレの運命は、マリンと力を合わせて切り開くんだ! 見ず知らずの他人に『りあたん』なんて書かれるのも相当嫌だが、こいつら三人と強制的にパーティーを組まされるのはもっと嫌だ!!
「カシオス、冒険の書を作っておやり」
「あいよ、シャイナさん」
 カウンターの奥からぬっと現れた、岩のような体躯の男。いかにも「荒くれ者でした」と言わんばかりの大男は、おそらくここ最近になって改心し、酒場を手伝っているのだろう。以前は見なかった顔だ。彼は手にした真新しい帳面を開き、さらさらと『りあたん』の旅立ちを書き込む。今現在の日付に時刻、パーティーの構成に各々の職業。ひとしきり書き終て表紙を閉じると、アイオリアにずいと差し出した。
「お前の冒険の書だ。持って行け」
「いらないよ!」
 このままでは本当にパーティーを決められてしまう。冒険の書だと? ふざけるな!
「持って行け」
 無言の圧力とは、今のような状況を言うのだろう。忌々しい“冒険の書”を、今度はより近くに尽き付けられて逃げる術がない。このカシオスとかいう男を倒せなくはないが、そんなことをした日にはギルドから抹消されてしまう。要するに、受け取るより他にないのだ。
「うう…っ。マリン…兄さん…っ」
 泣きたい。というより、泣きそうだ。苦難の末に育む愛―――というシナリオはおろか、この面子では一生かかっても兄と再会できそうにない。冒険の書を渋々受け取りながら、アイオリアはがっくりと肩を落とす。
「さあ、行こうかぁ!」
「うわっ!?」
 カシオスが再び姿を消すと同時に、誰かの腕が首にがしっと回された。例の二人組の、長身の方だった。意気揚々と出立を促し、あたかも彼が主導権を握っているかのような態度だ。
 ―――違う! オレは、こんなのを望んでいるんじゃない!
「は〜な〜せ〜〜〜!!」
 ずるずるずる。抵抗も虚しく、力強い腕でぐいぐいと強引に引っ張られながら、アイオリアは三人の仲間とともに酒場を後にした。

「悪く思わないでおくれよ、リア坊」
 シャイナの手のひらの上には、ひときわ大粒の宝石が二つ。窓から差し込む朝日に照らされ、高級品ならではの上質な輝きを放っている。
「女は皆、こいつに弱いのさ」
 うっとりと目を細めながら、彼女はそう独りごちた。“こういう事”は比較的どこでも行われているが、アイオリアがその現実を知るのはもう少し先の話だ。

***

 アリアハン大陸に囲まれた湖の中心にそびえる塔。それが、最初の目的地だ。
「いいか? このもりそば様がお前みたいなヒヨっこの試練に付き合ってやるんだ。失敗したら承知しねえからな」
「頼んでないよ…」
「何か言ったか? ああん?」
 親指と中指で頬を挟まれる。むにゅう、と唇が突き出て上手く喋れない。否、意見すら言わせてもらえないのだろうか―――理不尽だ。特に『もりそば』と名乗った遊び人は、何かにつけて尊大で偉そうだった。それなのに、相方は始終無言ときている。一言ぐらい止めてくれても良さそうなものなのに、見て見ぬふりなんて最低だ。
「おい、そこの蟹野郎。何でお前までついて来た?」
「べっつに〜。お宝ちゃんが俺を呼んでるぜ〜」
 ―――くいくい。
「何? やめろって? だってこんな奴必要ないじゃん」
 ―――ふるふる。
「…ふむふむ、盗賊は役に立つ? そうねえ、でもチンケな蟹野郎だしなあ?」
 何て纏りのないパーティーだろうか。もりそばは喋らない相方と独り言のような会話を続け、デスマスクは宝探しにしか興味がない様子。人の旅路を何だと思っているんだ…?
「やえおぉ〜〜〜〜」
 どうでもいいが、もりそば。まずはその手を離せ。
「おっと、すまん」
「…ぷはっ。いい加減にしてよ、遊びじゃないんだからねっ!?」
 やめろと言ったのが何とか伝わり、もりそばの指がぱっと離れた。手袋の上からでもわかるくらいに、細長くてきれいな手。だが、とんでもなく力強い。
「おい。お前はその歳になって言葉の使い方もわからんのか?」
「痛い痛い! 何すんのさ!?」
 素直に謝るとは意外だ、なんて一瞬でも感心した自分が馬鹿だった。咎める言葉を聞き漏らさなかったもりそばは、二つの握りこぶしをぐりぐりと頭上にねじ込んでくる。
「何だその口の利き方は? 二年も城勤めしておいて、目上は敬えと習わなかったのか?」
 あんたのどこを敬えと? なんて言ったら無限ループになるどころか本気で殺されそうだ。とにかく嫌な予感しかしない。それに、どうしてオレのことをそんなに詳しく知っているんだ? もう何が何だか、わけがわからない。
「やめてください、もりそばさん」
「よろしい。それじゃあ張り切って行ってみよう〜!」
 試練にパスしたらパーティーを解散する、当面の目標はそれだけだ。とても不本意な想いを胸に、アイオリアは何故か率先して先頭に立つ遊び人の後に続いた。

 城下町を抜けてほどなくした頃、馬に跨る女戦士の姿を見かけた。あれは―――。
「ま…マリン!!」
「ほら、きびきび歩きな!」
 彼女は片手で手綱を引き、もう片手で罪人らしき男を縛り上げた縄を握っている。振り向きざまに喝を入れる姿が凛々しくて、思わずぽうっと見惚れてしまう。ああ、今すぐこの人と旅がしたい。
「おや。誰かと思えばアイオリアじゃないか」
 その場でいったん馬を止め、深々と被った鉄兜を外す。邪魔にならないよう一つに束ねた髪は、しっとりと深いこげ茶色。根掘り葉掘り聞くつもりはないが、どこか遠い国からやって来たのだろう。
「ほお〜。これはなかなかの別嬪さんで?」
 と、デスマスク。オレも、すごくきれいだと思う。
「お前、好きなの?」
 と、もりそば―――何故わかった!? ていうかはっきり言うな!
「あら図星?」
「煩いよ!!」
 十数年前、任務中に命を落とした父と兄。だが、遺体が見つからなかった兄を、一部の心無い者達は「逃げた」と噂した。その話は子供達の間にも及び、アイオリアは次第に「臆病者の弟」「裏切り者の弟」などと、いわれのない侮蔑を受けるようになった。
『にーにぃは逃げたんじゃないもん!』
 悔しくて溢れ出す涙を堪えながら、そう反論するのが精一杯だった。立ち向かうには彼はまだ幼く、内気すぎた。
『やめな、あんた達』
『男女がきたぞ! 逃げろーっ!!』
 そんな折に庇ってくれた者がいる。兄と同い年で、兵士に採用されて間もない男勝りの少女―――マリンだった。くもの子を散らすように逃げ去る悪童どもを背に、彼女は小さなアイオリアと目線を合わせてしゃがみ込む。そして、いよいよ耐え切れずに泣き出した“友人の弟”の短いくせ毛を撫でながら、優しく諭すように声をかけた。
『男なら泣いちゃいけないよ』
『ひくっ、ひく…っ。にーにぃ、なんでいなくなっちゃったの…?』
 常に兄の後ろをついて回るアイオリアの姿は記憶に新しい。突然の喪失が幼心にどれほどショックだったかなど、想像に余りある。だが、単純に「可哀相」だけでは、この子は前に進めない。必用なのは、同情ではなく励ましだ。
『しっかりしな。あんたの兄さんは、逃げたりするような弱い男じゃないよ』
『…ほんと? じゃあ、にーにぃは帰って来るの?』
『きっとね。あたしは、生きていると思うよ。だから、強くおなり。泣き虫のままじゃ恥ずかしいだろ?』
 ごしごしと涙を拭い、アイオリアは勢いよく首を縦に振った。兄の生還を信じ、その後も幾度となく背中を押してくれたマリンに、彼はいつしか淡い恋心を抱くようになった。
 強くなる。漠然とした目標はやがて明確な意思へと形を変え、引っ込み思案な子供は目を見張る成長を遂げた。いつの日か“二人で”兄を探しに行くために―――。

「あっ、待って!」
 早々に立ち去ろうとするマリンを、アイオリアが慌てて引きとめる。
「オレ、試練に合格したら貴女と…」
「アイオリア」
 なんだい、と振り向いた彼女に名を呼ばれ、言葉を遮られる。目線の先は、脇に抱えた真新しい冒険の書。
「気持ちは嬉しいけどね、あんたにはもう仲間がいるじゃないか。自分で選んだ道だろ? 一度決めたことは最後までやり遂げないといけないよ」
「違う、違うんだ…これは…っ!!」
 シャイナさんに嵌められたんだ。そう弁明する間もなく、もりそばの腕がしっかりと首に回される。またそのパターンか!?
「そういうこと。 男に二言はないぞ、勇者りあたんよ」
「おっ、いいこと言った」
 おほん、とわざとらしく咳払いをしたもりそばに続き、デスマスクがうんうんと頷いている。
「…仲が良さそうなのはいいけど、あんまり冒険ナメてると痛い目に遭うよ? 気をつけな」
 そう言われても仕方ない。何しろ傍目には二体のピエロと泥棒、そして自分の四人組としか映っていないはずだ。己とて、できるものなら今すぐこの状況に終止符を打ちたい。そして、新たな冒険の書を―――。
「それじゃ、頑張るんだよ。あたしも、あんたの無事を祈ってるからね」
「そ…そんな……」
 再び鉄兜を被り、颯爽と通り過ぎる女戦士の勇姿を見送るアイオリアの目的地は反対方向。
「ぼやぼやしてないでさっさと行くぞ」
「ほっといてよ! 行けばいいんでしょ、行けば! ああ、行きますともっ!!」
 偉ぶった態度を改める気配すらないもりそばの腕を、今度こそ振り切って彼は怒鳴った。土砂降りの心をあざ笑うかのように空は晴れ渡り、どこまでも青く澄み切っている。
 今までの努力は何だったのか。精霊ルビスよ。本当にこんなものが運命だと言うならば、貴女はものすごく嫌味な神様だ。オレの明日はどっちだ―――!?

 こうして思いがけない、否、全く望んでいない仲間達と出会ったアイオリア。後世、遥か未来に伝説となって語り継がれる冒険譚は、今まさに記念すべき第一歩を踏み出したのである。


(書いた人:ああああ)

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