Saint Seiya  > せいんとせいやでドラクエ3をやってみた。 > 旅立ち編

3. 巣立ちへの試練
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 夜の闇が辺りを包んでいる。すぐそばにある篝火は大きく燃えているが、それでも少し頼りなさげだ。
 アイオリアはアリアハン城城壁の北東にある見張り台で任務にあたっていた。
「もう少しで、夜が明ける」
 思わず出た欠伸は白い雲のように吐き出され、消えていった。
 結局アルデバランによって半強制的に兵士にされたアイオリアは、逆らうことも叶わず、渋々ながら日々を過ごしていた。勿論実直なアイオリアのことだ。与えられた任は真面目にこなしている。
 兵士になってから三ヶ月。まだ雪は降らないものの、確実に冬の足音が聞こえつつあった。特に夜明け前の外の見張りは、誰かに代わってもらいたくなる。さらに今アイオリアがいる場所は、この季節特有の冷たい風が一日中吹き込む為、先輩兵士は後輩に押し付け、同僚同士では夕食や酒で買収するのがお馴染みとなっていた。
 だがアイオリアは、嫌がるどころかむしろ率先してその場所に立った。新米であるが故の行動でもあったが、なによりこの時間にここにいることが楽しみになっていた。
 遠くの山の稜線が少しずつ形を成し、朝日が山の間から顔を覗かせると“とっておきの時間”の始まりである。放たれた光は山を、森を、草原を、その淡い黄金色の風で包んでいく。そして闇一色だった世界は各々の色を取り戻してゆく。まるで新しく大地が生まれていくようだった。
「アイオリア、交代だ」
 しばし目の前の絶景に心奪われていたせいで、見張りの交代時間を告げる鐘の音が聞こえていなかった。
「いやあ、助かったよ」
 引き継ぎにきた兵士は感謝の言葉をかけた。彼は一年先に入隊した先輩であるが、同い年であるためか気さくに接して来る。
「本当に奢らなくていいのか?」
「ええ、大丈夫です」
 そう答えるとアイオリアは兵舎に戻っていった。

 兵士の仕事は思っていたよりも多岐に渡るものだった。城内外の警備はもちろんのこと、城下町や国内に配置された屯所での任務、街道の巡回や時として老朽化した城壁の修繕にあたることもある。それに加えて訓練もあり、戦場での拠点の作成、陣形の組み方、負傷者が出たときの対処など、盛りだくさんだ。さらに個人でのトレーニングを加えると自由な時間はほとんど無い。休暇はもらえるが、慣れるまでは休養にあてないと身体が持たない。それでも脱走者がほとんど出ないのは徴兵制ではなく志願者のみを審査して入隊させるためであろう。理由はなんであれ目的を持つものは少しの事ではへこたれないものである。とは言え、見込みが甘かった者はやはり脱落していくことになるが。
 兵舎の自室についたアイオリアは、自分のベッドに潜り込んだ。自室といっても八人共同である。二段ベッドが人一人が通れる通路の両脇に配置され、通路側にはカーテンが引かれ個人のスペースが確保される。
 いつ急な指令が来てもいいように、アイオリアは束の間の休息を取るべく目を閉じる。正直、すぐにでも兄を捜しに旅立ちたい気持ちでいっぱいだった。今の生活の全てが無駄というつもりは無い。先輩兵士に鍛えられ、同僚と切磋琢磨することは有意義なものである。だが、やはりここは自分の居場所ではない。やめることも可能なのだが、兵士長アルデバランの推薦という形で入隊している。アイオリアの身体能力ならば推薦などなくとも充分審査を通るのだが、こうした方がアイオリアの性格上、容易にはやめれない。アルデバランの顔に泥を塗ることになるからだ。だが、全く可能性がないわけではない。

『冒険者として充分な能力を持っていることを示せ』

 これが、アルデバランが提示した冒険にでる条件である。あまりにざっくりとした表現にアイオリアは答えを出せずにいた。
 任務中はそれに集中できる。だがこうしてベッドに一人寝転がると焦る気持ちが湧いてくる。いつ旅立てる? このままずっと兵士でいるのか? 父オルテガと兄アイオロスは共に兵士となり、父は兵士長まで務めたが任務中に死亡。兄は十歳で審査に通り十四歳で兵士長に次ぐ地位に立つ神童ぶりをみせたが、ある任務中に行方不明となる。当然二人の意思を継いで兵士になると思われていたアイオリアだが、教会で行われている勉強会を十四歳まで受けた後はルイーダの酒場や道具屋で雑用をしたり、独自の剣の稽古等をして旅に出る準備をすすめていた。
 やがて睡魔が焦りや不安に勝り、いつものように眠りに落ちていった。ひと眠りした後、遅い朝食を取るつもりだ。ところがその日の仮眠は勢いよく開け放たれたカーテンを開ける音で終了する。部隊長がいつも通りの厳しい表情でのぞきこんでいた。
「起きろ。緊急のミーティングを行う。すぐに第二会議室まで来い」
 アイオリアが返事をする前に足早に部屋から出て行った。大抵決まった任務をこなすだけの新米兵士が緊急ミーティングに呼ばれることはまずない。先輩の意地の悪い命令以外では初めてのことだ。家にいた時の寝起きの悪さは訓練ですっかり無くなっていた。すぐに飛び起きると、指定された場所へ駆け足で向かった。
 会議室には、すでにアイオリアが所属する部隊のメンバーが椅子に座っていた。
「これで全員そろったな」
 アイオリアが座ったのを確認して、部隊長が立ち上がって口を開いた。
「話は聞いていると思うが、ここ半年ほどの間に旅人が街道で賊に襲われる被害が増えていた。そしてつい三日ほど前、偵察していた部隊が街道から外れた森の中でやつらのアジトらしき建物を発見した。報告によるとこちらが予想していた以上の人数がいるらしく、また報酬目当てで森に入った冒険者に行方不明者がでているところから、よほど組織化された集団か、腕利きの盗賊や暗殺者がいる可能性がある。そこで、アリアハンの兵士から数部隊を派遣し、一気に捕縛、場合によっては殲滅することとなった。見習いの諸君も後方支援等で任務にあたってもらうが、戦闘になることも充分に考えられる。これから伝える事をしっかり頭に叩き込み、それぞれの任務を全うするのはもちろんのこと、兵士間、部隊間の連携をしっかり取ってもらいたい」
 アイオリアの握りしめた拳の中が汗でにじんだ。初めての大がかりな作戦への参加。戦闘には参加できない可能性が高いだろうが、それでも胸の高揚を覚え、手渡された作戦内容の書かれた紙を見ながら部隊長の言葉を聞き逃すまいと耳を傾けた。
「…以上でミーティングを終える。作戦内容を今から三十分で頭に叩き込み、覚えた者から私の目の前でその紙を破棄してから退出せよ。以上!!」
 アイオリアを含め初めて作戦に参加する者たちは、予想外の制限時間付きのミッションに思わず背筋が伸び、作戦内容の暗記に冷や汗を流すのであった。

***

 作戦会議の翌日、すぐに行動が起こされた。偵察に出ていた兵士の報告によると、賊は明け方頃にアジトに集まっているらしい。部隊長とその副官であるベテラン兵士二人、その他はアイオリアを含む入隊二年以内の若い兵士七人からなる小隊は敵に覚られないよう待機場所へと移動していた。経験が浅い者が多く配置されているのは、この小隊が後方支援が主であるためである。兵士は全員革製の装備で身を固めている。一見心もとなく見えるが、油を染み込ませ丹念になめした革を数枚重ねて作られているため、並程度の打撃や斬撃に対する性能はなかなかのものである。何より今回のような作戦には音の出にくいこの装備がうってつけである。アイオリアは腰に鉄製の剣を備え、右手に持った槍を杖代わりにして進んでいた。やがて部隊長の手が挙がり、行軍が止まった。森が少し開けた場所に古ぼけた遺跡らしき建物が見えた。敵に見つからないくらい離れているために細部までは見えないが、見張りらしき人影が二人、武器を持っている。あまり熱心でないのか、欠伸をしたり、談笑したりしている。
 作戦では、まず見張りを排除し、正面に見える裏手の出入り口を封鎖。表の出入り口から主力部隊が突入し、一気に決着をつけるというものだ。裏手を封鎖した後は状況に合わせた臨機応変な支援を行う。うまくいけば自分達は見張りさえ相手すればよい手はずだ。
「俺も突入部隊の方に行きたかったな」
 作戦会議後、同期入隊の同僚が残念そうに言った。
「おまえの腕では手柄どころか、足ひっぱった上に討ち死にだな」
 別の同僚が茶々をいれる。なんだと、と言い返そうとした時、部隊長の叱責が飛ぶ。
「我々の任務も重要なものだ。もし失敗すれば作戦全体に係るものだ。そうなれば、見習いとはいえ、死罪もありえる。気持ちを引き締めよ」
 そのとおりだ。アイオリアは小さく頷く。任務に貴賎はない。ただ己の、部隊に課せられた任務を全うするのみ。
 心の中で自分のすべきことを反芻していると、誰かがこちらに向かってくるのが見えた。全員に緊張が走る中、別働隊の伝令が部隊長に走り寄り、敬礼をした後何やら耳打ちした。部隊長が小声で「了解した」と伝えると、また敬礼をして戻って行った。
「どうやら想定していたよりも賊の数が多いらしい。突入部隊だけでは確実に仕留めきれない可能性が出てきた、というのだ」
 部隊長が言葉を続ける。
「よって、裏口は封鎖せずそこから逃げ出てきた賊をこちらで迎え撃て、とのことだ」
 若い兵士の中で動揺が広がる。
「大丈夫だ。訓練を思いだし落ち着いて戦えば、決して遅れをとることはない。いいか、必ず二人以上で敵に当たるのだ。お互いの背中を守れ。お前たちならできる!!」
 新兵達の不安を取り除くように小声の檄が飛ぶ。
「ようし、これから作戦に入る」
 こうして、アイオリアにとっての初陣が幕を開けた。

 まずは予定通り見張りを排除する。ベテラン兵士二人が弓に弦を張り、軽く弾きながら張り具合を確かめる。そして、射程ぎりぎりまで近付くと、矢をつがえ、狙いを定めながら弦を引いた。まるで心が通い合っているかのように二人の矢が同時に放たれ、見張り二人がほぼ同時に倒れる。おそらく何が起こったのか解らないまま絶命したことだろう。声を発さずに崩れ落ちた。アイオリアは、ここが戦場でなければ拍手をもって称賛したい気持ちでいっぱいになった。しかしまだ作戦は始まったばかりだ。部隊長の合図で全員が裏口までの距離を縮めるべく前進する。接近するにつれ、倒れた見張りの首に見事に刺さった矢が見えてきた。あれでは声が出せないのも当然だ。改めて射手の腕前に感心する。
「ここで待機。賊が飛び出して来たら迎え撃て」
 ドアから二十メートルほど離れた位置で扇状に隊列を組み、声を殺して待つ。ほどなくして正面から突撃したと思われる音が聞こえてきた。近づいて気がついたが、アジトである遺跡は所々人の手が入っており、ちょっとした砦のようになっていた。
「自分達も突入した方がよくないですか?」
 新兵の一人がこう提案したが、叱責と共に却下された。
「中の様子がわからないのにこの人数で突入するのは自殺行為だ。どんな仕掛けや待ち伏せがあるかわからぬ。焦るな」
 それでも何か言いたげな新兵であったが、ドアの向こうで物音がした。全員に緊張が走る。呼吸の音さえも抑え、その瞬間を待った。そして―――ドアが開いた。
 まず三人の賊が飛び出してきた。その時、新兵の中の数人が緊張のあまり足が震え、動けなくなっていた。見張りからの警告がなかった為に油断していたのか、呆気にとらわれていた賊だったが、震えている兵士がいるのを見抜くと彼らに襲いかかろうとした。その時、
「いくぞっ!!!」
 アイオリアの気合の入った声に弾かれるように我に返ると、咄嗟に皮の盾を構え、難を逃れた。
「ゆけっ! 訓練の成果を見せてみろ!!」
 部隊長の一声で、兵士たちはそれぞれ掛け声をあげながら敵に挑みかかっていった。

 賊は次々と現れたが、組織的に戦う兵士達の前にあるものは捕縛され、あるものは槍に突かれ、またあるものは剣で切り捨てられていった。自分達が賊に勝利していくにつれ、初陣の新兵の口からは勝利の雄叫びが漏れ始めた。
「オレでも勝てたんだ」
「観念しろ悪党共っっ」
 アイオリアも例外ではなく、高揚した満足感に浸っていた。捕えた賊に縄を打ち、逃げないよう一か所に集めておく。そのうち応援も駆けつけ、ほぼ任務を完了した形になった。アイオリアの小隊には犠牲者は出ず、かすり傷程度の負傷者が数名でたのみであった。だが、突入部隊の方はそうはいかず、重傷者がかなりの人数になり、犠牲者も出たという報告もあった。予想以上の猛攻に遭い、手練の盗賊もいたという。
「よし、あとは周辺を見回って城へ帰還する」
 部隊長の号令で周囲を注意深く見回る。アイオリアはアジトの裏口を見た。その時、ドアが開き、中に人が見えた。明らかに兵士ではない。本来ならば上司に報告するのだが、アイオリアはアジトの方へと走り出していた。初勝利の興奮が収まらなかったのか、夢中でドアの向こうに消えた人影を追い、ドアの向こうへと飛び込んだ。
 すっかり日は昇っていたが、明かり取りの窓がふさがてれいるのか中は真っ暗だった。携帯袋から松明を取り出し火を灯す。廊下は大人一人が通れる幅で、すれ違うにはお互い身体の向きを変える必要があるだろう、また曲がり角や分かれ道が多く、迷路のようであった。一人で飛び込んだ事を危険と感じたが、引き返すことは叶わなかった。背後に人の気配を感じる。振り返ると同時に盾で前方を覆うと、ほぼ同時に盾に刃物が食い込む感触が伝わる。貫通はしなかったようで、思い切り相手を押し返した。敵が二、三歩下がる音がしたので、盾を視界の少し下まで下げて相手を確認した。痩身で長身の男は短剣を逆手に持ち顔の前で構えている。松明の光でははっきりとは見えないが、その目だけは異様にギラついているように見え、じっとアイオリアを見据えているようだった。今まで会ったどの人の目にも当てはまらない。アイオリアは本能的に感じ取った。
『暗殺者』
 おそらくこの男はそれを生業としている。すぐに次の攻撃が来た。幸いこの皮の盾は腕にはめて使えるものだったので、松明を左手に持ち替え腰の剣を抜こうとした。だが、すぐに思い直して盾で防いだ。この狭い通路ではこの剣を振るうのは難しい。二撃目も防がれた男は距離を取り、闇に消えた。逃げたとは考えられない。向こうの方が圧倒的に有利な状況だ。この通路も全て計算されたものに違いない。自殺行為―――ついさっき聞いた部隊長の言葉が身にしみる。剣の他にも腰には短剣が一本備わっている。どう考えてみても技能的には向こうが上だろうが、無いよりマシか。そう思って抜こうとした時、背後に気配を感じた。振り向きざまに盾と構えると、コン、と乾いた音の後に金属音が響いた。足元に投げナイフが落ちている。
 しまった!!
 すぐ後ろに男が迫っていた。何とか振り向いたが、盾をはめた左腕を掴まれ、短剣が首を狙っている。勝利を確信した男の口元が歪み、犬歯がのぞいた。だが、男のみぞおちに鈍い痛みが起きた。アイオリアは剣を半分ほど抜き、その柄の先端を打ち込んでいた。気を失うほどの痛みの中、男は短剣を振り下ろす。その刃はアイオリアの首の皮一枚を切り裂き、膝から崩れ落ちた。
 危なかった。背中に冷たい汗が噴き出す。乱れた呼吸を整えると、男の手足を縄で縛りあげていく。もう少しで縛り終わるというその時、急に手に力が入らなくなった。それだけではない。整えたはずの呼吸が乱れ始め、体中が汗でびしょぬれになった。どう考えても異常だ。もしやと思い男の握っている短剣をよく見てみた。薄暗くて戦闘中には気がつかなかったが、その刃には薄緑色の液体が塗られていた。
 毒かっ。さっき首をかすめた時に身体に入ったか。
 アイオリアは携帯袋から解毒薬を出そうとしたが、身体全体が麻痺しだし、床に倒れこんだ。ここで死ぬのか? アイオロス兄さんを見つけるどころか、こんなところで終ってしまうのか? 何とか気力を振り絞り毒に耐えようと試みるが、ついには目も見えなくなってしまった。はるか向こうで自分の名前が呼ばれたような気がしたが、もはやそれを確かめるすべはなく、闇へと落ちていった。

 アイオリアが目を覚ましたのは、負傷兵を収容するテントの中だった。床に毛布が敷かれ、二十人ほどの兵士が怪我の治療を受けていた。
 助かったのか? まだ朦朧とする意識で起き上がろうとするが、身体に力が入らない。
「無理をしてはいけない」
 そんなアイオリアを諭すような声が聞こえた。ようやく意識がはっきりすると、声の主が治療にあたっていた僧侶であることがわかった。
「解毒の呪文をかけたとはいえ、体力はまだ戻っていない。安静にしていなさい」
 その時救護にあたっていた僧侶や兵士が一斉に出入り口の方を向き、敬礼をした。そこには兵士長アルデバランが立っていた。今回の作戦に彼は参加しなかったが、報告を聞きに自ら赴いたのだろう。負傷した兵士の所へ行き、一人ひとり労いの言葉をかけていく。アイオリアのところに来ると、起き上がろうとする彼に
「横になったままでよい」
 と告げた。
「初めての作戦、御苦労だったな」
 アイオリアにも労いの言葉をかけたが、彼の心は晴れなかった。
「オレ…、いや私のしたことは明らかに軍法違反です。功に焦り、無用な深追いをし、挙句の果てに毒に倒れるなど…。罰せられはすれど、労われる立場ではありません」
 謙遜のつもりはない。あの時自分は手柄を立てることに執着した。褒美や昇給を狙ったわけではない。アルデバランに認められることで、冒険に出る許しを得る、そんなことが一瞬脳裏をよぎったのだ。だが統率を重んじるアリアハンでは〝抜け駆け〟で手柄を立てても認められず、逆に罰せられ、最悪死罪になる。
「おまえにしては軽率な行為だったな」
 結果的にアルデバランの顔に泥を塗るはめになった。なによりそれが申し訳なかった。
「覚悟は、できているのだな」
 アイオリアが頷くと、
「では、これより刑を執行する」
 アルデバランがはっきりとした声で宣告した。
 えっ、もう? いくらなんでも早すぎるのでは? せめて母親と祖父に最後の挨拶を…。アイオリアの思考が混乱する中、アルデバランはその大きな手のひらで背中を支え、ゆっくりと上半身を起こした。
「歯をくいしばれっっ」
 その言葉に反射的に全身に力を入れ、衝撃に備える。アルデバランの右手が振りかぶられ、アイオリアの頬を張った。脳を揺さぶられるような衝撃が突きぬけ、次いで左頬が熱を帯びる。
「以上で刑の執行を終了する」
 呆気にとらわれるアイオリアにアルデバランが話しかける。
「歩けるようなら、ついてこい」
 今の一撃で目も身体も醒めたアイオリアは、若干ふらつきながらも後を追った。

 アルデバランが連れていったのは、賊のアジトから少し離れた森の中だった。そこでは多くの兵士が何やら作業をおこなっていた。彼らはタオルや布で口の周りを覆っている。
 何をしているのだろう? アイオリアは疑問に思ったが、近づくにつれ、それが何なのかを嫌でも思い知らされた。まず、強烈な腐敗臭が鼻を突く。鼻をおさえても、なお涙が流れるほどだ。かなり広い範囲に広がる臭いだが、その原因は人の背を優に越える山のような塊にあった。何とか我慢しながら近づいたアイオリアは、その正体に愕然とした。遺体が積まれた山、この世のものとは思えない光景に、思わず胃の内容物を吐きそうになる。
「ひどいものだ」
 隣に立っているアルデバランも口と鼻にハンカチをあてている。
「襲われた旅人や冒険者と見て、間違いないだろう」
 遺体は何も身につけておらず、腐敗の進んだものは、もはや親子でもどこの誰なのか確認できないだろう。改めて賊に怒りが湧いてきたアイオリアを、また別のところへ連れて行った。今度は、先ほどの遺体の山から外され、まださほど腐敗の進んでいない遺体を安置している場所だった。身元を示すものが残っていないか、確認作業が進められる中、僧侶たちによる祈りの歌が聞こえてくる。
「こっちだ」
 アルデバランは、とある遺体のそばに立ち止まった。オレに見せたいものって、これのことか?
 訝しながらもアイオリアはその遺体をよく見てみた。ずいぶん大きな身体だ。アルデバランと比べても遜色ないだろう。あちこち傷んではいるが、筋肉質であることがわかる。顔の腐敗は進んでいたので誰かは判断できなかったが、丸太のような太い腕を見た時、思わず
「あっっ」
 と声をあげてしまった。矢の刺さったハートの刺青。オレはこの人を知っている。ルイーダの酒場で雑用をしていたとき、そこで会った冒険者だった。力自慢を絵に描いたようなその男は、いつか自分も冒険者になると言っていたアイオリアに
「自分のケツが拭けるようになったら、パーティーを組んでやるぜ」
 と冗談を言っていた。冒険者としての腕は確かで、その剛腕に握られた鉄製の斧から繰り出される一撃は、鉄の装備を着けた相手も真っ二つにするといわれていた。また、義理堅く、仲間を大事にする性格から、ギルドのみんなから信用され、数々の依頼もこなして来るというちょっとした“英雄”だった。からかわれながらもアイオリアはこの男を尊敬していた。
「一週間ほど前から連絡がつかなくなったそうだ」
 アルデバランはそう言いながら仰向けに寝かされていた遺体を横にし、首の後ろを見せた。
「背後から一突き。おそらくあのアジトに潜入したんだろうが、分が悪かったな」
 こんなすごい冒険者でもあっけなく…。アイオリアのショックはかなりのものだった。
「これが、冒険者の現実だ」
 アルデバランが口を開く。
「どんな実力者でも、あっけないものだ」
 もしかしたら、ここに捨てられていたのが三ヶ月前に冒険者になっていた自分だったかもしれない。危険はつきものだと分かっていたつもりだったが、自分の認識の甘さが恐ろしくなった。
「お前は、つまらない死に方はするな」
 アルデバランの手のひらがアイオリアの肩に置かれた。
「焦る気持ちもわかるが、死んだら終わりだ。教会で蘇生してもらうにも、こんなところに捨てられたら回収される前に腐ってしまう」
 アルデバランの気遣いに気がつかなかった自分が恥ずかしかった。まだまだ学ばなければならないことがある。
「さまざまな強さを知れ。そして自分のものにしろ」
 持ち場に戻れ。そう言ってアルデバランはその場を離れようとした。
「兵士長!!」
 アイオリアはこの場でもう一つ聞いておきたいことがあった。
「私への処罰はあれでいいんですか」
 確かに痛かったが、それだけではすまないような気がしていた。
「ああ、それは…」
 アルデバランは、そこまで言うと口をつぐみ、少し間を置いてから
「自分の小隊と合流すればわかる」
 そう言い残すと、そのままどこかへいってしまった。

 アイオリアは小隊の集合場所へと戻ってみた。部隊長以下全員がアイオリアが来るのを待っていてくれた。
「もう、動いても大丈夫なのか?」
 部隊長の言葉に返事をしようとしたが、おかしなことに気がついた。部隊長の左頬が赤く腫れていたのだ。彼だけではない。小隊全員の左頬が赤く腫れていた。
「全員一致の結論でな、お前への処罰を分配したんだ」
 処罰の分配など可能なのか? 連帯責任ならわかるが、そんなの聞いたことがない。どうしていいかわからない、といった風なアイオリアに、同い年の新兵が口を開いた。
「部隊長が掛け合って下されたんだ。『新兵を管理しきれなかった自分の責任だ』ってな。作戦自体には支障がなかったし、お前が捕えたのが賊の首領だったみたいでな。その辺も考慮してもらったみたいだ」
 さらに、毒に侵された自分を助けだして応急措置をとってくれたのも、賊の首領をしっかりと捕縛して連行してくれたのも小隊のみんなだった。
「もっとも、解毒薬があんまり効かない毒だったから、救護部隊と合流するまではかなりヒヤヒヤしたがな」
「安心しろ。首領を捕えたのはおまえだって、ちゃんと報告しておいた」
 説明の一言一言が胸に刺さる。軍法を犯したのは自分だけなのに。それどころか、連帯責任だって負わされたかもしれないのに。そう言おうとした時、部隊長がアイオリアの頭に手を乗せ、こう言った。
「あまり無茶するなよ。これ以上兵士長の平手打ちをくらったら、首がもげちまう」
 一同からどっと笑いが起こった。アイオリアはもう何も言えなくなっていた。
「ありがとうございました」
 と何度も言おうとしたが、なぜか言葉が出ず、涙だおけが止めどなく流れ落ちた。
「よし、副長、隊員確認を」
 部隊長の号令が出ると、笑っていた隊員は姿勢を正し、自らに割り振られた番号を発していった。
「隊員十名、全員の生存を確認」
 副長の号令の後に部隊長が続ける。
「これより我が小隊は任務を全うし、アリアハン城へと帰還する。みんな、御苦労だった。以上!!」
 全員が敬礼をし、お互いの健闘を称えあう中、アイオリアの心の中は言葉にできなかった感謝の気持ちでいっぱいになっていた。

***

「そろそろ来る頃だよな」
「ああ、先週来なかったから、今日あたり…」
 若い兵士が数人、兵舎の自室で雑談をしていた。
 季節は真夏。窓は開け放たれ、少しでも涼を取ろうとする努力が見える。その中の一人が待ち遠しげに窓の外を何度も見ている。
「おっっ」
 ほどなくして、何かを見つけたのか、身を乗り出して声を出した。
「りあた~ん、おべんと~」
 外から聞こえた女性の声に、他の窓からも次々に兵士が頭を出す。
「お待ちしてましたあ!」
「いつもお若いですね!!」
「オレと結婚してくれ~~!!!」
 かけられる声援に、女性は笑顔で手を振っている。すると、一人の兵士が全速力で外に出てきた。
「か、かあさん、来るなら目立たないようにってあれほど言ってるじゃないか!!」
 アイオリアは、顔を真っ赤にして母に詰め寄る。
「仕方ないでしょ。あの子達が見つけちゃうんだから」
 そう言って手を振ると、声援やら口笛が鳴り響く。
「かあさん、人気あるでしょ」
「弁当ありがとう。家事忙しいんだろ。さあ、帰った帰った」
 この場を早く収めたいアイオリアは、母が持ってきた大きめのバスケットを二つ受け取ると、母の背中を押して、帰るよう促した。
「もう、相変わらず恥ずかしがりなんだから」
 息子に背を押されながら、母は小走りになりながら答えた。
「持ってこなくていいと言ってるじゃないか」
「だから、月一回しか来てないじゃない」
 そういう問題ではない。確かに入隊した頃には週に二、三回は来ていた。それに比べれば自重しているのだろうが、もうすぐ十八歳になる人間にすることではない―――と思う。
「だいたい、兄さんにはこんなことしなかったんだろ?」
「アイオロスには作ってくれる娘がいたから、母さんすぐに御役御免になったわ」
 兄さんが入隊したのって、確か十歳位だったような。いや、母さんの話は半分は聞き流した方がよい。
「それじゃ、帰るわね。たまには家に夕食とか食べに来なさい」
 ここには、結構遠くから来ている者もいる。自分だけそんなことをするわけにはいかない。
 一人ではとても食べられない量の料理の入ったバスケットを持って兵舎に戻ると、入口にはすでに大勢の兵が集まっていた。
「待ってました。今回は我が第四小隊がいただきます」
「はあ? 今回はうちの隊の番だろうが!!」
「おまえこそボケたんじゃね?」
 さすがに全員分の食事を作ってくることはできない。せいぜい一小隊分が限界だろう。そのためアイオリアの知らないところで順番が決められたようだが、必ず争いになる。
「今回は第四小隊だ」
 正直なところ、そんな順番は知ったことではないのだが、後々面倒なことになるのも嫌なので指摘することにしている。それでもなお自分の番を主張してくる者もいるが、
「『順番を守らない人は嫌い』って母さんが言ってた」
 と返答すると、なぜか皆素直に聞き入れるのであった。

***

 兵士になってもうすぐ二年になる。アイオリアは任務・訓練共に持ち前の生真面目さを発揮し、今は小隊の副官を任せられている。実力は認められていたので部下は年齢に関係なく従ってくれるが、その童顔ゆえに結構いじられることが多い。一度髭を生やそうと試みたが、全然濃くならなかったので諦めてしまった。威厳ある上司にならねばと思うが、決して冒険に対する思いを捨てたわけではなかった。

 母お手製の昼食を食べ終わると、城下町にある詰所に移動するために担当する兵を集めた。全員アイオリアより後に入隊した者たちである。号令をかけ整列させると城下町へと進んでいった。
 町の中心にある広場まで来た時、一人の兵士が声をかけてきた。
「少し、見ていきませんか? このまま詰所にいっても交代時間までまだ間がありそうですし」
 何を言っているのだ。そう新兵を叱りつけようとしたが、広場の方を見たアイオリアは、
「仕方がないな。少しだけだぞ」
 と答えていた。そこには二人の大道芸人がパフォーマンスを行っている姿があった。あの二人組は何度か見たことがあった。二人とも顔は白塗りで星やハート、涙を模した模様が描かれており、素顔はわからない。服装もだぼだぼで体型もはっきりしない。どうやら片方はなかなかの長身のようだが、とにかく謎だらけであった。どうやらこの国のある大陸をあちこち廻っているらしく、他の町や村でも姿を見たという話を聞いたことがある。長身の方はよく喋りよく動く。声からするとアイオリアより少し年上か。それに対してもう片方は言葉を発しているところを見たことがなく、助手のような雰囲気である。
 長身の方がさまざまなジャグリングを見せると観客から拍手が起こる。そのテクニックはなかなかのもので、何度か見ているアイオリアも改めて感心させられた。
「では、御名残惜しゅうございますが、本日最後となります」
 そう言うと、あらかじめ用意された木製の衝立の前に寡黙な相方が目隠しをして立った。頭の上には真っ赤なリンゴが乗せられており、両腕を水平に広げる。アイオリアは、この芸を以前に見たことがあった。十メートル程離れた場所から長身のほうが目隠しをしてナイフを投げる。そのナイフは相方の頬、脇の下、腰、股下、いずれもギリギリのところに突き刺さり、最後に頭上のリンゴに命中させて終わりとなる。失敗することはないのだろうが、それでも胸の鼓動が早まり、手に汗を握る。今回も見事にナイフを投げ、最後の一投を残すのみとなった。長身の方は胸に手を当てて何度も深呼吸をし、投げる振りをして思いとどまったりしながら観客をじらす。そして意を決してナイフを投げた瞬間、
「あっ」
 長身の方の口から声が漏れるのが聞こえた。手を離れたナイフはリンゴの方ではなく左胸目掛けて飛んで行った。見えていない相方は勿論避けようとしない。観客からは悲鳴が上がり、手で目を塞ぐも者、顔を背ける者、ただ茫然と立ち尽くす者と様々である。アイオリアは駆け寄ろうとしたが、間に合うはずもなく、目の前で起こるであろう惨劇をただ見るしかない―――と思われた。だが、ナイフは胸に刺さる直前に消え去り、代わりに胸ポケットに一輪の薔薇が現れた。アイオリアを含む観客全員が呆気にとられていると、誰かが
「あっっっ」
 と叫んだ。いつの間にかリンゴに三本のナイフが刺さっていた。広場に爆発のような歓声が響く。目隠しを外して貴族のようにうやうやしくお辞儀をする二人に雨のごとくおひねりが飛んでくる。それらは長身の方の足元に置かれたシルクハットの中へ、吸い込まれるように入っていく。
「アイオリアさん、あれ、どうなってるんですかね?」
 我を忘れて拍手していたが、新兵の問いかけに我に返り、
「薔薇のほうか? シルクハットの方か?」
「え、ああ、両方です」
 アイオリアにも答えは見つからなかった。おそらく魔法の類なのだろうが、詳しいところまではわかるはずもない。
 そうこうしているうちにおひねりはすべてシルクハットに吸い込まれ、長身の方がそれを被るが、中からお金がこぼれない。寡黙な相方が懐から大きな布を取りだすと、それを広げ二人の上に掛けた。すると、二人の姿は布の中に消えていき、最後には布だけが地面に落ち、風に吹かれてどこかに飛んで行ってしまった。
「行かなくっていいんですか?」
 立ち尽くしていたアイオリアに新兵が声をかけた。それとほぼ同時に時を告げる鐘の音が聞こえてきた。
「いかん、全員駆け足で詰所へ急げ!!」
 アイオリアが駆け出すと、他の兵は顔を見合わせ、急いで後に続いた。

「なあ、本当にあいつなのか?」
 広場から少し離れた民家の屋根の上に、二人の大道芸人がいた。彼らの目には、常人では肉眼では捉えられない距離にいるアイオリアの姿がはっきり見えていた。
「確かに少しは見込みがありそうだが、なんだか頼りなさそうだな」
 寡黙な相方は責めるような視線を送る。
「別に疑ってはいないさ。さあ、行くか」
 そう言うと、二人の姿はそこから消えていなくなっていた。

 その日の詰所の任務は何事もなく済んだ。引き継ぎが少し遅れ、前任からの非難を覚悟していたが、逆に心配されてしまった。いつも時間前に到着する彼に何事かあったのではないのかというのだ。大道芸に夢中になっていたとは言えず、誤魔化すのもよしとしないアイオリアは、ただただ生真面目に謝罪を続けるのであった。
 日が暮れて辺りが薄暗くなった頃、詰所に一人の兵がやってきた。
「アイオリア、交代だ」
 まだそんな時間ではないので、
「何かの間違いでは?」
 と確認したが、どうやらアイオリアだけ交代して至急兵舎へ戻れとのことだった。>
 何事かと思いながら、急いで兵舎へ戻ると自室で待機した。こんなことは初めてだった。なぜ自分だけ? まったく心当たりがない。
 緊急任務なら自分以外にも召集がかかるだろう。やや不安な気持ちになりながら待っていると、急に部屋の扉が開けられた。全身鎧(フルプレート)を身に付けた兵が二人、アイオリアの方へと歩み寄る。
「第三小隊副官アイオリア、軍規違反の疑いで拘束する」
「は…?」
 突然のことで、一瞬なにが起こったのか理解できなかった。さまざまな可能性を探していたが、この事態は全く想定していなかった。
 審問院所属の兵を名乗る二人は、アイオリアに目隠しをつけ、両手首に手枷をはめた。
「さあ、歩け」
 背中を押され、やむを得ずアイオリアは自室を後にした。

 一体どこへ連れていかれるのだろう? 何度か聞いてみたが二人の兵士からの返答はなかった。
 兵舎の中の構造は熟知していたが、やはり目隠しされていると勝手が違う。自分がどこを歩かされているのかわからなくなりそうになる。それでも感覚を研ぎ澄ませて、状況を把握しようとした。
(この階段を下りると一階だ。左に曲がると出口…、あれ?)
 てっきり城の方へ連れていかれるものと思っていたが、外に出るのとは逆の方向へと曲がった。裏口から出るのかとも思ったが、そちらの方向にも向かわない。
「このまま進んでも、行きつくところは…」
「知りたいか?」
 今まで沈黙していた兵士の一人が口を開いた。とはいえ、鉄仮面に覆われているので口は見えないが。
「自分の罪状を知りたいか?」
 もちろん知りたいに決まっている。もう少し待てばいやでも取り調べで知らされるのだろうが、心の準備位はしておきたい。
「ぜひ、教えてください。やましいところは何もありません」
「なるほど、罪の意識が無いとは…やはり裁かれるべきだな」
 そんなに重い罪なのか。無意識にそんなことをしていたのか。
「よかろう。よく聞くがよい。おまえの罪状は…」
 ごくり、と唾を飲み込む音がはっきり聞こえる。
「可愛すぎる母親を持ったことだ」
 ―――え、聞き違えたか? あまりの緊張でおかしくなったか?
「その通り。まったくもって罪深い男よ」
 別の兵士も相槌を打つ。
「その上おいしい弁当を作ってもらいながら、全く感謝しておらぬ」
「幼き頃は、一緒に風呂に入ったりしたのだろう。罰せられて当然だな」
「いや、あの、ちょっと」
「というわけで、今から存分に祝ってやる。覚悟せよ」
 そう言うと、アイオリアの腕を掴んで止まらせた。続けざまに目隠しをはずされる。予想通り、そこは兵舎内の食堂の扉の前だった。
 状況の飲み込めないアイオリアの前に二人の兵士が立ち、扉を開け放った。
「おめでとう!!」
「遅いぞ、腹が減ってかなわん」
「なんて顔してんだ、アイオリア!!」
 見知った顔が三十人ほど、料理の並べられたテーブルの前に座っている。兵士長アルデバラン姿もある。
「お前、まだ気が付かないのか?」
 連行してきた兵士が鉄仮面を外す。いたずらっぽく笑う同僚の姿があった。
「今日が何の日か、わかるだろ?」
 今日? しいて言えば自分の誕生日、ってまさか!!
 皆、アイオリアの誕生日を祝うために集まっていたのだ。おそらく詰所に呼びに来た兵士もこのサプライズに一枚かんでいたのだろう。
「やられた!!」
 アイオリアは思わず天を仰いだ。
「いやあ、途中で何度吹き出しそうになったか」
「去年も引っかかったのに、気がつかないかね」
 そうだ。去年は突然五人位が部屋に飛び込んできて、毛布で簀巻きにしてそのまま会場へ連れて行かれたのを思い出した。どうしてここの人たちは普通に祝ってくれないのだ。自分以外にも誕生日を迎えた者はたくさんいるはずなのに、こんなことをされたという話を聞いたことはない。
「いつまでも突っ立ってないで、席に着けよ」
「ああ、そうだな。だが、その前に…」
 アイオリアは、まだそばにいた二人の足に素早く足をかけて転倒させた。
「うわっっ、何しやがる」
「これくらいはしておかないと、気がすまない」
 全身鎧をつけていたのが仇となり、二人はひっくり返された亀のように手足をばたつかせる。鍛え抜かれた兵士といえども、この状態から立ち上がるには至難であった。それを見た一同からどっと笑いが起こる。
「その辺で許してやったらどうだ?」
 アルデバランに促され、アイオリアは片手で兵士を引っ張りあげる。
「相変わらずの馬鹿力だな」
 ようやく起き上った兵士とアイオリアが席に着き、ようやくささやかな宴が始まった。

「どうした? 浮かない顔をして」
 一応主賓であるアイオリアのもとへ酒を注ぎに来た兵士の一人が声をかける。
 多少問題のある招かれ方ではあったが、自分のために祝ってくれる仲間に感謝はしていた。もっとも、これにかこつけてただ飲みたいだけの連中もいるだろうが、それでもありがたかった。だが、どうやら心の内が顔に出てしまったらしい。
「兵士長、アイオリアは何か悩みがあると思われます」
 同僚がわざとらしく大声で報告する。
「そうなのか?」
 ワインの入ったグラスを片手に、アルデバランはアイオリアのそばに来て、肩に手を置く。
「いや、別に自分は…」
「プレゼント代わりと言ってはなんだが、何でも相談に乗るぞ。まあ、女性関係のアドバイスは難しいがな」
「お、ついにアイオリアにも春が来たか?」
「ここで白状して楽になっちまえよ」
 兵士長の提案に、外野が面白半分にちょっかいを出す。
 少し戸惑った表情を見せたアイオリアだったが、俯いて「うん」とつぶやくと、席から立ち上がった。
「…、俺が入隊してから二年がたつけど、出来る限りアリアハンの兵士として恥ずかしくないことをしてきたつもりです」
 唐突に始まった演説に、最初は茶化していた出席者も徐々に静かに耳を傾け出した。
「まだまだ未熟者だけど、それなりに責任ある立場を任せられるようになって、とても充実した生活を送らせてもらってる」
 一息入れるためにワインを口に含み、兵士長の方をチラっと見る。兵士長は腕組みをしたまま目をつむり、アイオリアの言葉に耳を傾けているようだった。
「…このままこの生活を続けるのもいいかな、なんて最近は思うこともあるけど、今のままでは中途半端な気持ちで任務に就くことになってしまう。だから…」
 アイオリアは大きく息を吐き、アルデバランの方へ体を向けた。
「兵士長、オレ…いや、私が冒険者に値するか確かめてほしい」
 同席者は兵士長の返答を待った。アルデバランは相変わらず腕組みをしたまま目をつむっていたが、静かに目を開けると、グラスに残っていたワインを飲み干し、口を開いた。
「手加減は、せんぞ」
「勿論、覚悟の上だ」
 アイオリアの返答を聞くと、
「そうか」
 と小さくつぶやき、
「明日の朝、訓練所で待っている」
 そう言い残して、食堂から出て行った。
 兵士長の退出を静かに見守った兵士たちは、扉が閉まるのを確認すると、一斉にアイオリアのところに集まった。
「おい、やめとけって」
「おまえならここで間違いなく出世できるのに…」
「今からでも遅くないから、兵士長に謝ってこいって!」
 口々にアイオリアに思いとどまるように詰め寄る。
「すまないな、せっかくの宴を台無しにして」
 アイオリアもグラスを開けると、そのまま食堂を後にした。
「酔っぱらって、気が大きくなったかな」
 自分にしては、思い切ったことをしたものだ。明日に備え、アイオリアは自分の寝床へと入った。

***

 今までにない、晴れ晴れとした目覚めだった。比較的寝起きの悪いアイオリアであったが、日が昇る少し前にはすっかり準備をすませていた。
 朝食は取っていない。これから全力で戦うことになるだろう。下手をしたら胃の内容物をぶちまけることになりかねない。それに、神経が高ぶっていて食事など取ってはいられなかった。
 王城から少し離れたところに訓練所はあった。深呼吸をし、両手をかけてゆっくりと鉄製の扉を開けた。
 中ではすでにアルデバランが待っていた。飾り気のない鋼鉄の全身鎧に、雄牛の角を象った鉄仮面を被っている。武器は持っていないが、すでに放たれている静かな“闘気”こそが彼の本気の証だった。
「殺されたりして」
 改めてアルデバランの強さを認識する。
「…それでよいのだな」
 アイオリアの装備は、剣と盾こそ鉄製だが、鎧は革製、頭部に至っては何も身につけていなかった。
「ええ、問題ありません」
 そう応えると、少し腰を落とし、獲物に飛びかかる猫を思わせる構えをとる。
「よかろう。お前の強さ、見せてもらうぞ」
 一方のアルデバランは腕を組んだまま仁王立ちをしている。
 一見隙だらけに見えるが、アイオリアは仕掛けることができなかった。
「どうした、臆したかアイオリア」
 攻めあぐねている様子に声をかけるが、それでも仕掛けることができなかった。
「ならば、こちらからいくか」
 そう言うや否やアルデバランは一気に間合いをつめた。その巨体、重装備を感じさせない速さでアイオリアに初弾を放つ。アイオリアは横にステップして避ける。目の前を巨大な拳が横切る。
 完全に見切って避けたつもりだった。実際アルデバランの拳はかすっていない。だが、そのすぐ後に襲ってきた突風に、態勢を崩し吹き飛ばされた。思わず片膝をついたところに頭上からさらなる追撃が襲ってきた。転がりながらかろうじて逃げるが、さっきまでアイオリアがいた地面に拳が突き刺さる。訓練所の床は踏み固められた土であったため、衝撃で土埃が舞う。そこにわずかながら隙が生じたように見えた。
「よしっっ」
 好機を逃すまいと、アイオリアが斬りかかる。
 だが、それを予期したかのように手甲で受け止めると、みぞおちに一撃を見舞う。
 バックステップで避けようとしたが、拳はアイオリアを捕えた。直撃こそ免れたが、それでもアイオリアを悶絶させるには十分な威力だった。
「直撃してたら、死んでたかな」
 脂汗をかきながら呼吸を整えると、今度はアイオリアの方から仕掛けた。
 一気に間合いをつめると、素早い剣さばきで連撃を見舞う。常人ならば防ぐことはまず無理であろう。しかし、アルデバランは手甲で見事に受け流して見せた。いくら強固な鋼鉄製の防具とはいえ、同じ箇所に何度も攻撃を受ければ無事ではすまない。しかしまともに衝撃を受けずに受け流すことのできるこの猛者は、決して腕力だけが強い戦士ではない。
「この程度か、アイオリア」
 当然、アイオリアの戦士としての実力は認めており、入隊してから数段強くなった。アリアハンの兵士でも太刀打ちできる者が果たしてどれほどいるか。だが、それだけでは冒険者としては不十分だ。
 もういいだろう。やはりアイオリアは冒険者になるには素直すぎる。城勤めの方が向いている。
 疾風のごとき攻撃をみせたアイオリアだったが、効いていないことを悟ると後ろに宙返りしながら距離をとった。
「やはり、お前には無理なようだな」
 アルデバランはゆっくりと腰を落とした。
「これで決める。うまく防げよ」
 渾身の体当たりが放たれた。鎧の重さも威力に加わり、残像を残す速さでアイオリアに迫った。
 捉えた!! そう思ったが、アイオリアは間一髪飛びあがる。
「宙に逃げるとは愚かな。これで完全に逃げ場はないぞ!!」
 自分より高い位置にいる標的に、最後の一撃を撃つべく、腰をひねり拳を振りかぶる。
「覚悟しろ、アイオリア!」
 だが、アルデバランの耳に意外な声が聞こえた。
「魔の力よ、炎となりて我が敵を焼き尽くせ」
 呪文だと!! いつの間に習得していたのだ。いつの間にか盾を手放していた左手が炎に包まれる。
 このままでは拳が届く前にこちらが焼かれてしまう。おそらく初級の火炎魔法“メラ”であろうが、魔力によって作られた炎は普通のそれとは見た目の威力が違う。アルデバランは目の前に腕を交差させ、襲ってくるであろう熱風に耐える準備をした。だが、そうはならなかった。
 耳元でカチャリ、と金属の当たる音がした。後ろに回り込んでいたアイオリアが、首元に剣を当てていた。兜と鎧の間には継ぎ目があるため、そのままなぎ払えばアルデバランの首は宙に舞うことになる。
「私の勝ち、ですよね?」
 背後から遠慮がちに声をかける。
「なぜ、魔法を放たなかった」
 アルデバランが振り返らずに聞く。
「だって、魔法なんて使えないから」
「なにっ」
 振り向くと、そこには左腕から煙を出しているアイオリアが立っていた。手が燃えたのかと思ったが、よく見ると手には布が巻いてあり、煙からは何やら薬品を燃やした独特の臭いがした。
「ちょっとは熱いけど、燃えたのは布とそこに染み込ませた薬だけだから、問題はないよ」
 アルデバランはそこまで話を聞くと、しばらくうつむいて何も言わなかった。
「まずい、怒らせたかな? それとも負けて悔しがっているのかな?」
 アイオリアは固唾を飲みながらアルデバランの反応をまった。すると、
「…ククク……」
「え?」
「ウワーーッハッハッハッハッ」
 今度は大声で笑い出した。
「ずいぶんと、小賢しい真似をしてくれたではないか」
 ひとしきり笑うと、アイオリアの髪をくしゃくしゃとしながら話しかけた。
「冒険者なら、あれくらいはやらないと」
 悪びれる様子はなく、アイオリアは答える。
「その通りだ。隙を見せた私の負けだ」
 そういうと、アイオリアに握手を求めた。
「見事だ。まあ、まだまだ甘さは抜け切らないようだが、まあよかろう」
「それじゃあ…」
「本日をもって、アイオリアの退役を認める。二年間、よく頑張ったな」
 ようやく、ようやく冒険に出られる。アイオリアの胸が高鳴る。
「浮かれるな」
 心を見透かしたようにアルデバランが釘をさす。
「おまえはやっと尻から殻のとれたヒヨッコだ。油断すればすぐに命を落とすぞ」
「はっ、申し訳ありません、兵士長」
 思わず直立不動になる。
「これが最後の説教だ。あとそれから、もう“兵士長”と呼ばなくていいぞ。以前みたいに呼べばいい」
 そこでしばし待て、と言い残し、アルデバランは訓練所から出て行った。
 しばらくして戻ってきた彼の手には、剣が握られていた。
「餞別だ、持っていけ。そこそこいい品だ」
 今まで使っていた剣よりも少し長く、片手でも両手でもつかいやすそうな造りだ。その分、重量もあるが。
「ありがたい…けど、正直言うと今使っている剣があるし、結構使い慣れていて気にいってるんだけど…」
 少し砕けた言葉づかいに戻ったアイオリアが申し訳なさそうに言うと、
「なあに、もうすぐ使うことになるさ」
 珍しくいたずらっぽく笑いながらアルデバランが答える。
「…やられっぱなしでは、格好がつかんからな」
「えっっ?」
「いや、なんでもない。それより、ほかに欲しいものがあるなら言え。誕生日祝いとして贈ってやるぞ」
「いや、剣もいただいたし、これももらったから」
 そう言うと、懐から何やら取りだした。アイオリアが握っている金属片に、アルデバランの目が大きく見開かれる。
「お、お前、それはまさか…」
 急いで鉄仮面を脱いでみると、そこにあるはずの二本の角が、根元から折られていた。
「いつの間に…」
「後ろに回り込んだ時、ちょっとね」
 この角は簡単に折れるものではない。よく見ると、折られたのではなくきれいに斬った後であることがわかる。
「この、いたずら坊主め」
「ごめん、やりすぎたかな?」
 恐る恐る返そうとするアイオリアに、
「いや、見事だ。これは邪魔にならないならもっていけ。魔除けになるやもしれん」
「確かに、ドラゴンでも避けて通りそうだよ」
「こいつめ、いらないなら返せ」
「いや、ありがたくいただくよ」
 アイオリアは大事そうに懐にしまった。
「じゃ、そろそろ行くから」
「仲間や母親に、しっかり挨拶していけよ」
 そう言って去ろうとしたアルデバランだが、ふと立ち止まり、
「アイオロスを必ず見つけてこい。そして、死ぬなよ」
 その大きな背中に、アイオリアは深く頭を下げるのであった。
 “試練”の後、まずは同僚に挨拶に行った。去るのを惜しむ声が多かったが、兵士長に認められたのなら、と快く送り出してくれた。自室に戻り整理を始めた。その最中、使い慣れた剣の手入れをしようと鞘から抜いてみると、アイオリアの目は驚きで大きく見開かれた。刃の中程に大きな亀裂が入っており、ほどなくしてそこから折れてしまったのである。
「まだ寿命には早すぎる」
 その時、先ほどのアルデバランの言葉を思い出した。
『なあに、もうすぐ使うことになるさ』
『やられっぱなしでは、格好がつかんからな』
 …、やられた。戦いの中ですでに折られていたに違いない。丁度今頃折れるように調節して。
「やっぱり、あの人はすごいな」
 そう思わずにはいられなかった。

***

「よし、今日も一日がんばろう」
 朝日が昇った頃、アイオリアの母はいつも通り洗濯物を干すために庭に出た。
 その時、ふと花壇に目をやると、植えた覚えのない花が咲いているのに気がついた。
「ふふっ、アイオリアったら」
 サプライズの主の正体は、あっけなくばれてしまった。
「そうか、とうとう旅立つのね」
 理屈ではない。血を分けた者の巣立ちは言葉で言われなくてもわかる。
「でも、相変わらずロマンチストのままね」
 母は優しく掘りだすと、リビングの花瓶に可憐に生け直した。

「母さん、気付いたかな。どこか抜けてるところがあるから、気付かないかも」
 そう思いながらも、直接手渡す気にはなれなかった。
 今、アイオリアの目の前には『ルイーダの酒場』の入口の扉がある。
「とうとうこの日が来た」
 これから始まる冒険に思いを馳せながら、しっかりと両手でその扉を開いた。


(書いた人:いいいい)

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