Saint Seiya > 介護のすヽめ |
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白羊宮のおやつはいつでも手作りだ。 慈しみ育てる弟子のために身体に良いものをと、ムウは一切の労力を惜しまない。 「今日はホットケーキを作りましょうね?」 「やったー!」 作る工程も子どもにとっては楽しみのひとつだ。小麦粉や牛乳をはじめ、厳選された素材が台所に並ぶ。材料を合わせれば、後は一枚ずつ焼いていくだけ。 ほどなくすると、ほんのり甘く食欲をそそる匂いがあたりに広がる。 「いい匂い〜♪」 「そうですね。では貴鬼、そろそろアルデバランを呼んできてもらえますか?」 「はぁい!」 貴鬼が張り切って宮を飛び出した直後、ふと見知った小宇宙を感じた。 (おやおや。余計な客人が来ましたね…) 午後の素敵なティータイムは親友と弟子の三人で過ごすものと決めている。フライパンを乗せたコンロの火力を落とし、焦げないように蓋をしてから玄関へ向かう。要は、早々にお引き取り願おうというわけだ。 「…で、何の用です?」 「冷たいのお…」 客人はムウの師匠だった。何でも、通りすがりに良い匂いがしたから立ち寄ったのだという。迷惑千万な話だ。 「あなたの分のおやつはありませんよ」 「何…っ!?」 「嫌ですねえ。見た目は十八歳のくせに耳は年寄りですか?」 「ムウよ…。お前はいつからそんなに冷たくなったのだ…」 「私は元々こうですが。貴方こそ何です、ついに五老峰からも追い出されたんですか? うちに老人の面倒を見る余裕なんてありませんよ。だ〜い好きなサガの所にでも行けばいいじゃないですか」 時々こうして十二宮を訪れてはいるが、彼は童虎と仲睦まじく自給自足の隠居暮らしを満喫している。さらりと言ってはいるが、ムウの言葉はひとつひとつが刺々しい。 「だから、悪かったと何度も…」 その昔、サガを寵愛していた自覚はある。そして、ムウが己の愛情を渇望していたことも。無論、アテナの御心により蘇ってからは深く反省した。 アルデバランという心優しい親友に、貴鬼のような素直な弟子。二人に囲まれて満たされているのだろう。ムウは 『過ぎたことです。それに、貴方は私の師ではありませんか』 と言って“師”の過ちを水に流し、恨み節は一切口にしなかった。しかし、久々に立ち寄ってみればこの対応。やはり一筋縄ではいかないようだ。 「いいですか? 私は貴方のためを思っているのです。甘いものばかり食べていたら尿から糖が出ますよ?」 「待てムウ、私はすこぶる健こ…」 「ホットケーキが焦げてしまうので、これで」 ―――バタン。ガチャ! ご丁寧に鍵までかけられてしまった。 シオンはふう、とため息まじりの苦笑いを浮かべる。取り付く島もない上に、糖尿病の聖闘士などいてたまるか。究極に鍛え上げた肉体を持ち、おそらく地上で最も病気から遠い存在に向かってとんでもない言い草である。気を取り直してサガの顔でも見て帰ろうと双児宮へ向かう途中、手を繋いで階段を降りるアルデバラン達とすれ違った。にこにこと談笑しながら歩く様子は、まるで本当の父子のように幸せそうだった。 偶の休日にじっくりと読書を堪能していたサガは、不意にこちらへ近付いてくる小宇宙を感じて分厚い本を閉じた。読みかけのページには、子どもの頃から愛用している革製の栞が丁寧に挟まれている。 (急に来られるとは…何か大切な用事だろうか?) そう思いながら、玄関を開けて出迎える。やって来た人物は当然、シオンである。双児宮に頻繁に出入りする人間はほぼ限られているので、サガにとっては予想外だ。 「シオン様…。仰って頂ければ茶菓子のひとつくらい用意致しましたのに。これでは何のもてなし…」 「サガはやはり優しいのだな! 変わりなくて嬉しいぞ!」 言い終わる前に、シオンはサガを真正面から抱きすくめた。幼少期に人一倍目をかけてもらった恩に加え、その恩を仇で返した負い目がサガにはある。だから、シオンには他の黄金聖闘士に増して頭が上がらない。なされるがまま腕の中に収まっていると、今度はすりすりと頬ずりまで始める始末だ。 「…何が…あったのですか…?」 暫くしてやっと口を開く余裕ができ、サガが恐る恐る尋ねる。シオンが自分に対して嫌な感情を抱いているわけではなさそうだが、少なくともこれは、齢三十近くの男に対する接し方ではない。何より、ベタベタとひっつきたがるのは現教皇と弟だけでお腹いっぱいだ。 「おお、そうだ!」 ばっ! と顔を上げたシオンが、今度はサガの両肩を掴む。彼に悪気はないが、絶頂期の姿で蘇った聖闘士に力強く掴まれれば当然痛い。けれどもサガがそんな様子を見せるはずはなく、黙って次の言葉を待つ。 「サガよ、聞いてくれ。ムウが冷たいのだ…」 「…えっ、ムウが、ですか?」 「うむ。昔構ってやらなかったのを根に持ってるようでな…」 「そうですか…。ここ立ち話も何ですから、どうぞ中へ」 サガの表情が曇る。シオンに可愛がってもらった裏で、本当の弟子であるムウがないがしろにされていたことは薄々感じていた。仮にムウがシオンを恨んでいるとするならば、その恨みの半分は己に向けられるべきなのだ。 リビングのソファに、向かい合わせで腰掛ける。事の詳細を聞いていくうちに、目の前にいる元教皇が可哀相に思えてきた。それまで真剣に話に耳を傾けていたサガが、 居ても立ってもいられない様子ですく、と立ち上がる。 「うん? サガよ、どうした」 「シオン様、その原因はわたしにもあります。ちょっとムウと話をしてきますね」 「あ、いや、そこまでしなくて良い…ぞ…?」 「すぐに戻りますから、どうかゆっくり休んでいてください。何もありませんが」 見た目の流麗さとは裏腹に、思い込んだら一直線で強引な一面がサガにはある。シオンがやんわりと断っているにも関わらず、畳み掛けるように言葉を重ねた彼は早々に宮から出て行ってしまう。 「…まったく、仕方のない。可愛い奴め」 そもそもここへ来た目的は、サガの顔を見てほんの少し慰めてもらおうと思っただけだ。取り残されたシオンが何か飲み物でもないかと冷蔵庫を空けると、まさにサガの言葉通りだった。がらんとした空間には季節はずれの、切れずに放置したと思われる立派な西瓜が転がっていた。 (つづく) |
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